徹子の部屋に初登場。
高中:スタジオの仕事もやってたので、陽水の「氷の世界」も一緒に。
徹子:あなた、韓流スターのような顔で。
高中:相変わらず目は細いというか。お昼1時間ウオーキングするんですよ。この番組もよく見る。戦争の厳しい話もこの間してたのに、僕なんかが出ていいのか。
82年の横浜スタジアムライブ映像
「BLUE LAGOON」「SAUDADE」「READY TO FLY」が流れた。なつかしや。
高中 さんざん練習して、好きな音楽を好きなメンバーで、優秀なスタッフとできる。こんな幸せなことはないんですよ。アガっていられないというか。歌は最初歌ってたんですよ。アルバム10曲中2曲とか。でもやっぱり下手。スタジオの機材でいざ録音してみると、自分の音痴がすごいわかって。下手なものも数打ちゃ当たるでしょ。当たったものを使えばいい。ライブの時は音痴になっちゃう。どんどんやめてく方向になって。ジャズっぽいことはあまり好きじゃなくて、ビートルズとかベンチャーズ、歌えるものをギターでやりたいなと。最近瞬時に音程を直す機械が出たんで使ってるアーティストも結構いると思う。割と評判よかった。
品川区大井町で生まれた。(←トットちゃんの自由が丘学園とおなじ)親父が中国人で母親が日本人。
マージャン屋をやっていて土曜日は混むので徹マンやるんですよ。ボクと兄貴は押入れで寝て、カーテン閉まってて向こう側が麻雀。よく来るお客さんはかわいがってくれた。麻雀パイ磨きで10円貰ったり。斜め前がキャバレーで、後ろが深夜喫茶。(徹子さんの記憶ではお汁粉やサンがあった)
中学生のときに、韓国のキムなんとかさんって天才少年がいた。影響されて相対性理論や微積分、アインシュタインを読んでいた。中学の卒業式では総代。3年間の成績も1番。45回転のレコードを33回転にしてギターの練習。チョーキングも見よう見真似で覚えた。オープンリールのテープレコーダーは、ねじを外すとオクターブ下がるのでやっていた。
高3のときにセミプロみたいなことを1日1000円でやったりとか、学園祭でつのだ☆ひろ、成毛滋(←5年前大腸がんで死去。享年60)と知り合った。
何で東大にこだわったか分からないけど。大学に行っても勉強しないやと思い、入学金をアンプに回した。親の反対はなくすんなり了解してもらったが、そろそろやめてサラリーマンになれ、と父親に言われた。
十戒(1984)は明菜さんのディレクターに持っていったら最後繰り返して、とか もっと盛り上げて、と指示されて、我慢して作り変えた。ちょっとムカッと来たけど言ってることは正しい。キャッチーで覚えやすいフレーズを繰り返すところ、最後盛り上げを作るとか。
ボクのはあっさりしててつまんなかったのかなと。
長塚京三さんのファンで「華の嵐」を家の前でしつこくウクレレでやった。長塚さんは家の奥入ってビール2個持ってきた。
●徹子さんがまさかのムチャぶり
「BLUE LAGOON」(←タイトルは浅井慎平氏)の生演奏は保存版だけど
よもや徹子の部屋OPを弾けとは。