記憶の中で今もきらめく曲
キャット・スティーブンス「Morning Has Broken」東京は夜遅くまで明るい!北海道は8時で真っ暗。上京した頃を思い出す。
上京したてはデザインのほうに興味があった。主要5科目は2ばかりの成績だった。
写真学校に4年通った。写真を見た人は「誰が撮ったの」と、ほとんど分からないのがくやしかった。
文学座に入ろうとしたら、30人の定員に6千人応募があって一発で落ちましたよ。
原宿のバイト先の知り合いの人が「中村雅俊のコンサートスタッフやらない?そばで見られるから気に入られるかもしれないし」って。
自由劇場の芝居は一本も見たことがなかった。吉田日出子さんがいたし、オーディション受けた。ひ弱な感じがしたんでしょうね「大きな声出せ」って言うから、当時好きだった女の子の名前を叫んだら「はい、ありがとうございます」と言われ、合格通知が。
演じるとは、そのときの感情を大事にすること。役をちゃんと作りなさい、境遇や姿勢、顔立ちを想像しなさいと。
あの頃はお金もないし、衣装もなにもかも手作りだから。笹野(高史)さんは厳しかった。布団の中で「笹野め」とか思ってるんですよ。夢の中でけんかしたり。そしたら笹野さんも「今お前に首絞められる夢見た」って。
「若いうちにやめたいんです」「仕事来たのか」「まだです」「来てからにしろ」
自由劇場が解散して、借金生活に入ったときは子供も1歳ぐらい。育児をしていたが、公園に行っても「優しいお父さんね」と言われても
「仕事ないんだろうなぁ」と思われているだろうなって。奥さんも働いてなくて、借金借金借金
舞台「オケピ」で三谷幸喜サンに呼ばれたのが46歳。→ドラマ「HERO」が10年前。
三谷さんに主役をアテ書きしてもらったが、客の前に立ってる自分が
いまひとつだめだった。どーんと構えてない、恐ろしさに逃げたくなる自分と戦ってる。
今迄でいちばんしんどかった舞台。プレッシャーに押しつぶされそうだった「国民の映画」でも読売演劇大賞で主演男優賞獲った。
今心に響く曲は玉置浩二「メロディ」
18歳の頃を思い出す。北海道の景色とか。疲れていても玉置さんばかり聴いてしまう。
確かにいつもニコニコしているなぁ。
本当に自分のやりたいことをやらしてあげよう、自分に甘いんですよね。
だから息子たちも本当にやりたいことをやらしてあげようって。
「やさしい~息子にして!!」