渡辺美里
カムカムにハマっていた
次の展開が気になると、僕に「あれはどうなるんですか」「その後どうなるんですか」情報を仕入れようとして。LINEが来るし。一緒にライブやるたびに「世良さん世良さんどうなるんですか(小声で)」ナイショです、って僕が言ってるのにずっと最終回まで聞いてきました(笑)
桑田佳祐
79年明星6月号付録
カセットレーベル持ってたんだがなあ。冒頭から対談濃い。
あの頃世良はぶつかってた。スタッフとあーでもないこーでもない、俺は一生懸命後ろで「まぁまぁ、まぁまぁ」俺があの時おまえを「まぁまぁ」ってやったから、今までやれてるんだよ、って言われました(笑)やっぱり桑田氏は戦友、おさななじみ、ひとつの時代を一緒に苦労した仲間
陶芸
七代加藤藤兵衛
世良:炎もだけど、自分の中にあるロックのエネルギー、土を一心にこねて焼いていく作業が自分の性(※サガとよまない)に合ってる。七代加藤藤兵衛先生に「手を見せてごらんなさい」と言われて見せたら「陶芸に向いている」おっしゃったんです。なぜかそれが催眠術にかかったように信じ込んで。土に一生懸命触るようになった。
徹子:思いがけなく。あなたの手、大きいし太いね
世良:自我がふっとなくなる瞬間を体現できた。自分が無になること。だいたい雑念の多い人間なので、無になる瞬間を味わった時に「このまま土と生きていこう」気持ちになりました。菊練りは菊の花びらのような状態。
世良公則&美濃焼。やきものの里で陶芸に親しむ。~趣味悠々 - .net.amigoココログ跡地2007~
徹子:桑田さんに陶芸をプレゼントなさったんですって?
世良:僕の仕事場に彼が来まして、お抹茶をたてたり。だいたい僕の仕事場にミュージシャンやスタッフが来るとお抹茶やお菓子を出して。ちょうど桑田さんが来た時には、僕の作ったフリーカップを「それいいね、かっこいいねえ」「じゃあ、お持ち帰りになりますか」(笑)彼は何に使うかわかってないみたいで「なんに使うの?フリーカップってお前が命名したのか」「いや、フリーカップって言葉が普通にあるので」
徹子 今日見たらきっと笑ってる
世良:焼酎でもいいんですよ。30代は疎遠になったりしたけど40、50、60と歳を重ねることで、お互いの中で認め合う気持ちのほうが強くなって。ライバルであるんだけど、彼の存在があったから、自分は自分の道を信じることができたし。桑田氏に限らず、同年代のアーティストに会うと、自分の足場を確認できる。お互いを認め合うことが素直にできるようになりました。
ルーツ
祖母は僧侶
世良:母方はお寺なので。祖母が早くにおじいちゃんを亡くして、子どもたちが大きくなるまで女の身でありながら僧侶になって、お寺を支えてきたんですよ。住職として継いで。おばあちゃんが主として読経するんですが、本堂がビリビリビリッと震えるぐらい、いい声で。腹の底から響くような声で。僕がこの世界に入ったときに「公則の声はおばあちゃんの声をDNAとして引き継いでるんだ」ずっと親戚中に言われてました。僕もそう思いますね。迫力のある声を僕はいただいてるんだな。
徹子:ご両親はしつけが厳しかった
世良:二人とも公務員。母は今でいう保育士さん。大事な年齢の子を預かってるんだからということを常々言ってた。僕にもとても厳しくて、電車やバスの中で座らせていただけなかった「子どもは立ってなさい」その僕がロックミュージックを始めたときに一言も反対しなかった。父も、音楽について反対したこともないし、僕の音楽について触れることもなかった。亡くなってから、父の友人と話をしたときに「酔っぱらうと、1回だけ、あんたのバラードを歌ってくれるんだよ」僕はそれまで、父が人前で僕の歌を歌ってるなんて聞いたこともない