伯父さんは緒方ですし、なぜ名乗るようになったかは知らないんですよ。
■祖父・緒方民平さん
慶応三年、熊本藩士の家に生まれた。士族基本帳に父の名が。士族としては最低ランク。生活は楽ではなかった。西南戦争で緒方家は消失。
孫の典子さんによれば民平さんは学校に通えず窓の外から授業を聞いていた。
その時学校へ来るよう勧めてくれたのが教師の「財津永枝」さんだった。
財津姓が途絶えてしまうため、國平さんに名乗らせる決断をした。財津家の先祖はキリシタン大名・大友宗麟。
肥後藩士の財津家は相撲の神様と言われた永量。(ながすえ)天覧相撲で無敗。藤崎八幡宮に祀られている。
家系図をたどると和夫さんも記載されてるし、財津一郎さんともつながる
財津一郎さんの本名は「財津永榮(ながひで)」※誤字訂正しました
家系図を所有していた方の旧姓はもちろん「財津」
そうとは知らずに若い頃中野サンプラザでのコンサートに通いつめたそう。
家系図を所有していた方の旧姓はもちろん「財津」
そうとは知らずに若い頃中野サンプラザでのコンサートに通いつめたそう。
「ずっと財津一郎さんのファンだったんですよ」32歳で熊本県の役人に採用される
国家に対して最重要であることに思い至り、農業雑誌を愛読。
地元でも有数な農場経営者に。民平さんは永枝さんが亡くなるまで連絡をとり続けた
■父・國平さん
次男。農場後継として農業学校へ進学。緒方から財津姓を名乗るよう民平さんに告げられる。山村サイさんと結婚。長男は6歳で病死。次男は4歳で赤痢で死去。
戦後、福岡市へ引き揚げ。開拓農場の仕事をするように。昭和23年、和夫さん誕生。
チューリップの初代ディレクター、新田さん登場
「気迫とか背後にある強さ、本当、侍のような強さだった。」
親父の苦労話というのはちょっときますね
僕が知ってるオヤジは飲んだくれだったんですね。
頑張ったんだなというのはよくわかった
親父とお袋がよく頑張ったという感じですね
チューリップの初代ディレクター、新田さん登場
「気迫とか背後にある強さ、本当、侍のような強さだった。」
親父の苦労話というのはちょっときますね
僕が知ってるオヤジは飲んだくれだったんですね。
頑張ったんだなというのはよくわかった
親父とお袋がよく頑張ったという感じですね
財津一郎さんのお孫さん、優太郎くんが「下剋上球児」に
長谷川役の財津くんは、財津一郎さんの孫。とかくタケモトピアノといわれがちだが、金八第1シリーズの方を先に思い浮かべるし、むしろ財津和夫さん寄りの顔のような #下剋上球児
— あみーご長嶋 (@amigonag) October 15, 2023