伯父さんは緒方ですし、なぜ名乗るようになったかは知らないんですよ。
■祖父・緒方民平さん
孫の典子さんによれば民平さんは学校に通えず窓の外から授業を聞いていた。
その時学校へ来るよう勧めてくれたのが教師の「財津永枝」さんだった。
「ずっと財津一郎さんのファンだったんですよ」32歳で熊本県の役人に採用される
国家に対して最重要であることに思い至り、農業雑誌を愛読。
地元でも有数な農場経営者に。民平さんは永枝さんが亡くなるまで連絡をとり続けた
■父・國平さん
次男。農場後継として農業学校へ進学。緒方から財津姓を名乗るよう民平さんに告げられる。山村サイさんと結婚。長男は6歳で病死。次男は4歳で赤痢で死去。
戦後、福岡市へ引き揚げ。開拓農場の仕事をするように。昭和23年、和夫さん誕生。
チューリップの初代ディレクター、新田さん登場
「気迫とか背後にある強さ、本当、侍のような強さだった。」
親父の苦労話というのはちょっときますね
僕が知ってるオヤジは飲んだくれだったんですね。
頑張ったんだなというのはよくわかった
親父とお袋がよく頑張ったという感じですね
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