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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

サワコの朝 中村吉右衛門 実兄・松本幸四郎と比較されて。

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2013年四女結婚。今年(2015)二人目の孫誕生。

 

■記憶の中で今もきらめく曲
死刑台のエレベーター
母に映画館に連れて行かれまして。中学1年生とかその辺。
不倫の話で、つまんねぇなあと思ってたら聴こえてきて。ジャズ。
こんな素晴らしい音楽があったんだなあと。

 

僕を映画に連れてってくれた実母は、初代吉右衛門の一人娘。
父は「女と見てない、この子は男の子だ」と舞台にも出していた。
ある日「松本白鸚のところへ嫁に行きます。
男の子をふたり産んで、ひとりは藤間家の跡取り、次男をお父さんのところに養子に
出しますから、許してください」と。
そうならないかもしれないじゃないですか。子供はわからない。神のみぞ知るし。
でも産んじゃうんです。僕はよそに行かされるし。
「お前は跡継ぎだ」って実母二人にわぁわぁ言われました。
何やっても怒られないし。お弟子さんの首を刀で突いたりしても怒られない。
でも10歳で初代は亡くなります。そしたら「若旦那」が「バカ旦那」ですよ。
中村吉右衛門という名は「止め名(一代限り)」にしようって。
僕がいるのにですよ。

実父(松本白鸚)は、初代吉右衛門の芸を全部わかっておりますから、
それに合わせれば良いと。

【松本幸四郎と比較されて】
僕はミュージカルの才能もないし現代劇もできない。
自分は必要とされないんじゃないか、役者になってはいけないのではないか。
10代ですね。大学入試の時に文学の道に進もうかと思いました。
ダメならジゴロになろうかなと(笑)もっといいますと、フランス人の彼女がおりまして
追いかけていこうかと。
「僕はフランス文学の勉強をしたい」と実父に言うと
「なんでもなっちまいな」と背中を向けられまして。
かたや松本幸四郎というのを背負い、こっちは中村吉右衛門を背負って、
彼はずっと来たわけですね。俺は二人の芸を伝える役者なんだと。
後ろを振り向いた時に「あぁ、片方はダメになるのか」という侘しさを感じたんでしょうね。
で、22歳で中村吉右衛門を襲名するわけですよ。

【鬼平犯科帳】
白鷗のハマり役。池波先生によれば実父をモデルに書いたのだと。
そりゃ当たるでしょう。で、今度誰にするか。
僕に白羽の矢を立ててくれた。でも四十ってのは若いですよ。
実父の貫禄のある鬼平に失礼だとお断りしたんですけども
まだまだ先生は諦めてくださらず、45の時にまたお話があった。
まだちょっと早いけれどもやらしていただこうと思ってやったら、
まぁおかげさまで・・。
それまで歌舞伎しかやらない人間だと思われていたのが、歌舞伎を知らない人間にも
吉右衛門を知って頂いたというのはありますね。

※丹波哲郎、萬屋錦之介版もあるけど、池波正太郎先生の希望だったのかな。

プーさんが好きだって知った時は笑った。

四女と菊之助の出会い

全然知らなかった。付き合ってることも知らなかった。
昔々二人を会わせたのが自分だったんですけどね。
うちに行ったら娘がくっついてきたんですよ。
そのあとどうしてるかは全然知らなかったら、急に「いただきます」(笑)
えええぇっ。だだだ大丈夫かなあと。
嫁の支度とか全然させてなくて。
本当にいいのかと何遍も言っちゃったらしいんですよ。後で娘に怒られた。

26歳から45年間演じている「熊谷陣屋」

直実の気持ちをお客さんに届かせたい。
なおかつ自分の考えている直実をお客さんに伝えたい。
時代は源平ですが、
直属の上司のために家族も犠牲にしなきゃいけない状態、
苦しみは今も同じ。

自分でやるほうが疲れない。教える方が疲れる。
いいのは、今の若い人は閉じこもらない。まず自分を出す。
こっちはおかしいから注意するけれども、それが魅力になるかもしれない。
説明しなくちゃいけないのが疲れるんです。

■いま心に響く曲
ナット・キング・コール「アンフォゲッタブル」ほっとする

 

追記

2021.11.28 死去。77歳

ami-go45.hatenablog.com