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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

サワコの朝 安藤美姫 トリノでやめなかった理由。

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●解説者になって

 

阿川:いかがですか、こっち(解説側)から見るオリンピックは?
同じリンクで一緒に競技させていただいたので、選手の一番近い目線から
観させていただいた感じ。
阿川:キャー、見てられないってことは?
なかったですね。一発勝負の世界なので、予期せぬところでこけることも
ありますし、そこはやはり落ち着いて。
阿川:まぁ、綺麗な顔をして「コケる」などとおっしゃって(笑)
なんでこの演技に対してこの点数なんだって
疑問を持つ方がすごく多い。選手はわかるんですよ。
ルールもわかってるしテクニックとかも。
・・フリーで息が上がったことがないんですよ。
羽生選手の場合は体力がないようなので・・。




阿川:カロリーナ・コストナーさん(イタリア)←ソチで銅メダル
仲良しだったの?
ジュニアのデビューした年から一緒にずっとやらしていただいて
どちらかというと年上年下がすごく多かったので
ライバルの選手がいなかったというか。
浅田真央とは)違う世代なので。全然ライバルという気持ちでは。
特に浅田選手の場合は、小さい頃同じクラブで練習してまして。
浅田選手の方がスケート歴は長いので
どちらかというと(1年ほど)先輩にあたるんです。
すごく仲良くさせていただいたので、ライバルというよりは
シニアデビューしてからもあまり同じ試合に当たらなかったり。

●記憶の中で今もきらめく曲
火の鳥」:ストラヴィンスキー

火の鳥といえば安藤美姫の代名詞。
阿川:必死で飛んだというより「さらりん」って感じでしたが?
    トリノの時は18歳。



周りの環境との温度差が難しかった。
なんで注目されるんだろうと。なんでだろうばっかり。
取材していただいたときも家の前や草むらの影に隠れてたり
高校の門の前でカメラが待ってたり
なんで自分の生活に。
注目されることに慣れなかったので大変だった。
4回転失敗して演技もすごく悪く結果15位だった時
取材の方が全くいなくなって現実を突きつけられた。
そういうことだったんだって。
トリノなんて本当はやめたくて。この環境に耐えられない。
でも会場で一人のオバ様?奥様が直接
「こんなオリンピックの夢の舞台で、4回転に挑戦してくれてありがとう」
言ってくれた方がいて、その言葉に救われた
ひとつの光が差し込んだんです。もうちょっとやろうかな
万全のコンディションじゃなかったしって。
トリノの次のシーズンは全く注目されなくなったので
バンクーバーは競技者としてやるべきことをやらなきゃ
自分らしく演技をするという目標をもてたので集中できた。
(5位入賞は)ほぼノーミスで出来たので十分満足。
自分の時間がもてて楽だった。
モロゾフコーチとの出会い
ニコライコーチの振り付けがすごく好きだったんですけど
モロゾフコーチは
今まで自分が気づけなかった、新しい安藤美姫の色を引っ張ってくれた。
スケーターとしての引き出しを増やしてくれた。
衣装もメイクもコーディネートしてくれた。
遠くの人にも見えるようなメイクだけでなく
曲の歴史、作曲者の思いを理解してやりなさいと。
●ジャンプは6種類
アクセル トウループ サルコウ ループ フリップ ルッツ。
サルコウ、アクセルは人の名前。

自分が続けたければ年齢制限はない。
2011年の時点で引退したかったんですけど。選手としてやり遂げたので。
悔いないと思った。11年12年でオフをとって。
でもいないとさびしいって手紙もらったり
「辞めるって言ってないじゃん」と言われたり。
「引退する」と言って試合に出ない義務はないけど
言ってくれる人のために試合に出ようと思った。
全日本が最後の試合だったので、よかった。
テレビの収録の時だけ娘を預けて。母がいるので安心して。
彼女がやりたいといえば全力でサポートしたい。
●今、心に響く曲
「MY WAY」ポール・アンカ
ショートプログラムで使った曲。
コーチになるのが夢だったので叶えたい。
お声がかかればアイスショーには出たいです。

 

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