2024.8.29
岡本太郎「太陽の塔」
非常に個人的な自分の発想から作って、違うレールで夢を与えて。もっと過去のことも考えてっていう感じがものすごい好きだったんですよ。
歌と同じ。ここに居続ける感じ。動かない強さ、何者にも動じない
柳澤寿男さん
メンバーの中にも紛争経験者はたくさんいるんですけども、メンバーたちの話によると、去年ぐらいからようやくだいぶ打ち解けたみたいな話になりまして。
継続は本当に力だなと実感。
パトリス・ベリシャ(パーカッション/コソボ共和国)
今や私たちは兄弟のように仲がいいです。かつてどんなことがあったかなんて気にしません
ゴルダナ・ブラズィノヴィチ(バイオリン/ボスニアヘルツェゴビナ)
玉置さんと共演しながらずっと、過去過ごした戦争中のことや人々を思い出します。素晴らしい音楽を生んで、一緒に生きていく光景を見ることができます
アリヤーナ・アミトヴィチ(バイオリン/ボスニアヘルツェゴビナ)
玉置さんの声からあふれる思いはとても深く、心の底に響きます。玉置さんは音楽で、すべてを真っすぐ伝えてくれます
沖縄・平和記念公園へ
平和祈念財団事務局長の松川満さんに案内される
「ボードビリアン~哀しみの道化師」を口ずさむ
4月 長崎平和公園
平和案内人の渡部富重さん:黙ってそこにおったら、私はいないかもしれない。だけど私は生かされとる。だから私に原爆のこととか戦争の愚かさを、みんなに伝えて広めてやってくれていう、メッセージが残っているんじゃねえかと
一生懸命日々を努力して、真っすぐに生きてって。そういうことが原爆とかで突然すべてなくなりますもんね。何気ないこの一日が大事だと
田中裕二さんのこと(石巻で
安全地帯のドラムの田中が亡くなった。それがすごい大きくて
やっぱり当たり前にいる者が、コロナ禍でみんな会いに行けなくて死んじゃったんですけど。死んだときはメンバーみんな集まったんだけど「そうか、こういうことか」と思いながら
(田園で生きる勇気をもらったと聞いて)喜んでるんですけど、泣きそうでした。「一緒に頑張りましょう!」
2014年放送
石巻の鮮魚店「まるか中央鮮魚」にて。
来ましたね~卵焼きが。魚屋に入ってきて卵食ってるっていう「たまご浩二」なんつってね。うまいな~(食べこぼしつつ)マイナスというより窮地も窮地。
とんでもないところに追い込まれたところからのパワーっていうのかな、生きていく上での。
お会いするだけで、エネルギーの方が強いもん。
元気づけに来るなんて問題じゃなく、お会いしただけでパワー頂いてる。ありがたい。
石巻の近江さんは震災当時、手書きで「石巻日日新聞」を書き続けた。
近江久美子さん:最初は安否確認みたいなのが、ラジオ石巻から流れてたんですよ。何々さんはここにます、とか。1週間目ぐらいか「田園」がラジオから流れたんですよ。そうしたら嬉しくて。「田園だ!」って。選んで流したと思うんですよ。なんでもいいわけではなかったと思うんで。それが忘れられなくて。
復興に向けて作られたカフェには、山崎まさよし、ジェーン・バーキンも。
歌いましょう。
生きてるからね、生きてるかぎり。
じれったい(←歌詞「、終わらない 石巻を もっと もっと 知りたい」で締め。
I Love You からはじめよう
「こうしてこの場で、石巻の皆さまへと言えてること、感謝しております」
「ずっと3年言ってたからね。愛を東日本のためにって。
田園(以上、ここまでが石巻。ギター1本)
いつの日も(スタジオ)
封印してきた「田園」
僕の曲で「田園」があって。
1996年で、全然関係なく、その年やたら中学生が自殺する年で。ものすごく多くて、だから「生きていくだけでいいんだ」っていうフレーズが自分の中で浮かんで作った。
みなさんいろいろ亡くされたと思うんですが、前に進んでいかなきゃいけないし 僕が思うには繋がってると。
どんなに離れても。.一緒にいるときは思わないけど、離れたりもう会えなくなったりするとすごく思う。
みなさんの思いは計り知れないと思う。
俺もいい加減な男だから
僕が全部悲しみは背負うから