.net.amigoココログ跡地2007~

まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集

NHK 団塊スタイル ザ・タイガース 瞳みのる

※2015.6.14 深夜0:00~「お願い!編集長」で
この番組が再放送。

頑張り屋、負けず嫌い。(勉強は?)ノーコメント。

中学生のころは小遣い稼ぎに牛乳配達のバイトをしていたが
仲間たちを喜ばせようと牛乳を拝借し
放課後山に登って牛乳パーティ・・・
店で立ち飲みしているところを店主に見つかりクビ。
時代の流れにボーカルを入れ、
編制替えしたほうがいいということになり
沢田研二と知り合う。
「ザ・ファニーズ」として地元でライブ活動。
森本太郎とは小学校の同級生
岸部一徳とは中学校の同級生
京都から大阪の仕事は僕が。
マネージャー兼リーダー。
僕自身は先を考えて東京から世界に、今のプロ野球選手のように
大リーグでやりたいという希望を持っていた。
疾風怒濤のような暴風雨の中に居て対応しきれない
10回ステージやるとくたくた。
●解散の真実
タイガースで4年やったんですけど前半の2年でメンバーが一人辞めた。
マネージメントを会社に預けたから音楽性が違ってくる。
その辺のギャップ、摩擦。
口喧嘩はしょっちゅう。殴り合いは覚えがない。僕は弱いから逃げる。
ストレスを外へ向けて出すわけにはいかず。
同世代の学生運動のことはしょっちゅう耳に入ってくる。
しっかりした考えを持ってないと
アイドル的にやってるのはどうも違うよ。
ロックってのは元々大人への反抗だから牙を抜かれたら
自分たちでなくなってしまう。僕自身は牙だらけだった。
●3年ぶりに勤めていた慶応義塾高校を訪ねる
30数年にわたって務めることになってしまった。楽しかった。
高校に中国語のクラスを作ったのは瞳さん。
忙しい時は家に帰らず仕事に没頭。
動機づけが自分の中ではっきりしているから没頭できた。
●解散後38年間
平安文学の前にある唐の王朝の文学を知らなきゃいけないなと
はじめたらそこから帰れなくなった。
大学時代はみな紳士的淑女的に対応してくれた。
ありがたいことにそっとしておいてくれたので邁進できた。
辞めたんだから芸能界には触れたくなかった。
深層心理として自分自身では未練感じてんのかな。それはありますね。
彼らと並行線か離れていく、交わることはない。
ところが「LONG Good-bye」に出会って変わった。
デビュー当時からのマネージャー、故・中井國二さんは
タイガース解散の責任を感じていた。
●再会
沢田が僕らがしょっちゅう出入りするような居酒屋に足蹴く通ってくれたこと
会社の方針でそういう風になってしまって申し訳ないと
中井さんが言ったこと
かたくなに持ってたものがほぐされていくような。
僕自身もそんなにかたくなに考えることはない、これまでは何だったのか。
文学と音楽、交わることはないのかな
反映させるべきだと自身は思ってくるわけですよね。
僕は離婚してた。前のつれあいは別の職種になることは許さなかっただろう。
沢田や岸部はそれぞれの人生が音楽に出てくるんじゃないかという考え。
僕は、いまを発信していく。
団塊の世代よりはずっと下だがついつい見てしまう。
風吹ジュン鉄観音茶を飲んだり
北京ライフじゃ地元の人間は誰もマスクをしていない様子の紹介だとか
瞳サンの北京料理(←カエル料理)、臭豆腐なぞはやみつきになるとか
いや、あんましじじむささのない構成なんですな番組が。
ウチの親戚世代のひとたちだからな今の60代。
そう思うと若い
現状に満足するのも不満足なのも幸せ。
柔軟であるとともに頑固。