ゴルフなんぞをご一緒にさせていただいてる
本業は大変なんですよ。この方のチケットが取れなくて。
※行ってみたいけど来たことないもんなぁ。
ゴルフなんぞっていうとは思いませんでした。
この5年なんぞは本気でやってましたから。
打った後こんなに空が広いのに、なんで下を這うんだ。
打った後こんなに空が広いのに、なんで下を這うんだ。
●記憶の中できらめく曲
スターダスト・レビュー「シュガーはお年頃」
落語会の最後、客の送り出しに流れる曲。
発売と同時に僕の耳に入って
おそらく落語家になる前の年。そのおしゃれさ加減がたまらず買いに行った。
人耳惚れ。それから毎朝聴いて出かける。
個人的生活の出囃子になってる。
歌詞とか何とかじゃなくて、スコーンと抜けた感じがよかった。
どんな落ち込んでるときでも大丈夫ってぐらい助けてもらった。
どんな落ち込んでるときでも大丈夫ってぐらい助けてもらった。
あっ要さん若い。うわなつかし~♪
じいさんが伯父夫婦と、僕を育ててくれたんですけど。
テレビつけると白黒の画面で落語やってるのみながら
爺さんが爺さんを見て笑ってる。何してんだろ向かい合って笑って。
いま思えば小さん師匠なんですよ。小さん師匠見ながら笑ってた
明治大学のキャンパス歩いてて
どのオリエンテーション入ろうかなと思ってたら、着物着た人が
「ちょっとこっち来て。いいからいいから探してんだろ」と
連れて行かれたのが大きな教室に高座があって
それを見ている学生がどーんと笑ってるんですよ。
これが落語ってものかとすぐ入部して。
8月に休みで帰った時に
「おまえなにやってんだ」「落語」「できんのか」
そこで着物着て落語やったらおじいちゃんすんごい喜んだんですよ。
ちっとも面白くなかったんだろうけど
僕が出かけてる間に息子夫婦に
「落語やってんだよ。ほんとによかった「。学生運動はやってない」
●談志師匠に弟子入りした日
1月の11日、雪の降る日に談志師匠の家へ。
(兄弟子が同じ落研出身なので)
「履歴書持って来て。午前中寝てるから午後から。」
師匠は毛糸の帽子被って。履歴書見ながら
「・・大学は出ました。劇団に入りました。辞めました。
サラリーマンになりました。辞めました、と・・・なるほど。大学卒業して
サラリーマンになりました。辞めました、と・・・なるほど。大学卒業して
劇団は行ってもダメ、サラリーマンやってもダメ。
落語家にでもなろうかってやつか。ま、いいよ。そこらあたりをうろうろしてろ」
落語家にでもなろうかってやつか。ま、いいよ。そこらあたりをうろうろしてろ」
そこらあたりをうろうろしてろって、入っていいんだか悪いんだか。
師匠にとってとにかくなんかが飛び込んできた。
兄弟子は「師匠は来るもの拒まずだから。弟子にしてくれるかどうかってのは
この先のことだから、明日も来なよ」
9時10時に行って庭掃除やって、鞄持って
師匠はその頃高座に上がってたので、
楽屋にいらっしゃる前座さんにカバン渡して。寄席は聞けないです。
終わったら、一応「車が来ております」(笑)
入門して3カ月目に
「落語・・・今からやるからテープレコーダーか何か持ってるか」
感激ですよ。あこがれの師匠が1対1で自分のためだけに。
太田道灌の落語を。
面白いところの多い噺じゃないのに、師匠がやると面白いんですよ
「師匠がやってんのに笑うんじゃねぇ、バカヤロ」
そういうとこから教わりましたね。
うちの師匠は私にそれ以上細かいことは言いませんでした。
師匠のテープでそっくり覚えて、高座でやったら終わって怒られましたね。
うちの師匠は私にそれ以上細かいことは言いませんでした。
師匠のテープでそっくり覚えて、高座でやったら終わって怒られましたね。
「いいか!あれは俺が拵えた落語で。そっくりやるのは無理だ。
基本が違う。いつかああいう落語をやれればいいんだ」と言われて。
基本が違う。いつかああいう落語をやれればいいんだ」と言われて。
そういうことを教えてくれる人でした。
しつこくはないけど、破壊力がすごい。
師匠は江戸っ子なんだけど、肌襦袢じゃなく、
半袖のVの字のシャツを着るんですよ。それを僕ともう一人の弟子が
半袖のVの字のシャツを着るんですよ。それを僕ともう一人の弟子が
着物の支度をしていたら、箪笥に長袖が入っていたんですよ。
「誰だこれ入れたのは!!」長袖を広げて
「これで俺に落語をやれってのか!!」
「師匠、申し訳ございません。とりあえず今日のところは・・」
「着るぐらいだったら!・・・上げる!!」
袖をまくりあげて落語やって。降りてきた。
事なきを得たと思ったら
「見ろ!!30分もやったから
(肘にまくった跡がついて)色が変わっちゃったじゃないか!殺す気か!」
怒鳴るんだけど優しい処理の仕方なんですね。
世間の方はどう思ってるか知りませんけど。
怒鳴るんだけど優しい処理の仕方なんですね。
世間の方はどう思ってるか知りませんけど。
亡くなって1年ぐらいは、師匠についてしゃべる気はなかった。
こんなひとでした、ガハハと笑う気にもならないし
しょんぼりしていてもいけない。
誰かが「あとでボディーブローのように効いてきますよ」と
言ったけど、ああいないんだ師匠・・・と。
例えば1カ月公演を8年やると、10日の間に2日休みもらっても
体は正直だからしんどいってなってきますよね。
師匠に電話して「続けた方がいいんですかね」
師匠だったらどうするかなと思いかけて「あ、居ないんだ」って。
そりゃもう反面教師。でもだんだんと似てくるって。
芸じゃなくて態度が似てきたって言われるのがいやでw
言葉よりも一番うれしかったのは
1カ月公演の時1日だけ見に来てくれたことがあったんです。
新作の「歓喜の歌」で。
新作の「歓喜の歌」で。
落語に入ったら忘れて、緞帳が一度下がった時に
「きょうは談志師匠が来られてて、もうお帰りに・・」
言いかけたら師匠が「いるよ!いるよ!」
すぐ帰れるように出口の一番近い席のところに。
「よかったら舞台の方においで願えませんか」「あそう、あそう」
●一番うれしかった師匠の言葉
「他人の落語を、初めから終わりまで観ていたのは、
今日が初めてなんですよ」
この言葉を考えながら見てたんじゃないかと。
三本締めまでしてくれて。
でも他人には
「ただねぇ、落語が終わった後にママさんコーラスが
60人いるなんている終わり方は田舎者じゃないとできませんねぇ」
●今心に響く曲
丘を越えて 矢野顕子
おおもとを知らない若者がこれを聴いている。
先人の作ったものがこんな風に変わる。
ああ、やられちゃったなと。いい詞なんだな~
うちの師匠ほどお時儀の深い師匠さんはいないんですよ。
でもそのあとにパッと顔をあげて
「こんなところに来たくなかったんだよ俺はっ。眠かったんだよ
無理やり起こされてここへ来たんだよっ」