浴衣姿で登場というのも珍しい。しかもいちばん綺麗で似合うのが有森裕子。
有森:(増田明美は)最初の新聞記事スクラップの人なんです。海外の選手の足元にも及ばなかった80年代。それが90年代から有森裕子の活躍で道が作られるなんてこのやろうと思ったのね。
増田:人によっては「競技レベルだけでなく顔のレベルも上がったのね」と言う人もいて。
野口:ほっとした気持ちと悔しい気持ちが入り混じってた。絶対オリンピックに行けるという感覚ではなかったですね。
増田:ロンドンは難しいですよ
有森:最短距離を逃げる。ストライドの多い欧米人やケニア人に前に来られたらだめ。今の選手は、能力はピカイチだけど、貪欲さがない。走る前の記者会見で、あそこが痛いここが痛い、調子が悪いって全部言う。聞いてて「SO WHAT?だから?」ってなっちゃう。自分の傷つきが弱まるのを最初に持って闘う。目標は世界に行かなくてもいいっていう。じゃなんで選考会に出てるの?これ予選会だよ。仲良く一緒に頑張ろうね、みたいなことがスポーツの現場でもある。ライバルと闘うことがない
野口:今の選手は勢いがなくなってきた。守って走ってる
増田:4選手中3選手を選ぶのは主観が入る。かといってアメリカみたいに一発勝負を日本がやるのは歴史があるから難しい。私の頃、80年代は賞金がなかった。支給されるのは栄養費の月3万円。1位が300万4、2位が200万円、1位が100万円。陸連からはおカネが出せないので、相当の何かを代わりに。パールのネックレスとイヤリング。あまりにも金額に満たないと言われたので、ダイアモンドのピアスと何かでちょうど。
【増田明美の途中棄権:84年】
オリンピックの渦に居て、よく覚えてないの。自分が思い描いていた本番と違うけど、大舞台だから最後まで走ると思っていた。ところが佐々木七恵さんに抜かれちゃったの。
今の人間力だったら応援しながら後ろから走るけど、ライバルにも抜かれたのがショックで、この姿を日本中の人が見てるのかと思ったら。
変な見栄っ張り、かっこ悪いと思って止まったのが14キロ地点。あの時代は国の代表、責任があったから「非国民」というFAXが会社に届いたりした。
有森:円谷幸吉にならなくていい時代にしよう。最初のオリンピックは自分のために走ろうと思った。自分たちの頃は実業団にメダリストはいなかった。何だったんだろう銀メダルは、などと言い過ぎると反発を招く。おかしいのは自分なのか組織なのか。もう一度メダリストになろうと思った。
野口:私もアテネで終わらずに記録更新したいな、と思う
増田:ゼッケンに「増田明美の夫」って。旦那のそういうところが好き。たったひとりだけでも自分のことを分かってくれる
野口:イタリア人がいいな
有森:イタリア人誰にでも優しいよ。全部何があってもプラスに変えていくのが大事だから(離婚の)説明はしない