まだ41歳か・・・。
記憶の中の石田文樹は、84年夏の甲子園決勝戦で止まったまま。
まだ「甲子園の恋人たち」84年版と85年版を捨てずに持っている。
どちらも表紙はKKコンビだけど。
その84年版には取手二高の石田くんが、カラーで6ページにわたって載っている。
「バックを信じ投げ抜いた傷だらけのエース」
「試合中は、彼女からもらったお守りをそっとユニフォームに隠してマウンドに立つ。彼女のことを質問すると、すぐ顔を赤らめるシャイなナイスボーイだ」
いい時代だったんだな、と思う。今はどうなってるか知らないが、この本の表紙には「選手104人の定期サイズフォト&全選手名簿・レター宛先つき」とあるではないか。クラスメートはそれを読み、早速取手二高の石田くん宛にファンレターを送った。すると2学期の真ん中らへんで、丁寧な楷書で書かれたサインが返って来た。崩し字、とかではなく立派な署名のような文字だった。自分はその翌年(85年)、宇部商バッテリーのファンだったから、田上君と田処君のサインを、元友人を介してもらった。こいつは曲者で、宇部商のキャプテンはモテてサインの申し込みが殺到したから、彼に限っては1枚50円で売るなどとぬかしやがった。
そんなことはどうでもよい。
息子さんも野球をやっているのか。しかも父親とおなじ投手なのか。せつないな。
普通の新聞の死亡記事だと、写真はなく欄の下部にひっそりと載る程度だ。登録名は大也(ともや)だが、ピンと来ない。大洋時代は通算25試合で1勝0敗、防御率4.59。
直腸がんだったんだ・・・。
40を過ぎると検診を一度受けろと親はうるさいが、いかんせん病院嫌いなので気乗りしない。親や人様の病気には敏感なのに、いつも自分のことは後回しだ。
記憶の中の石田くんはいつまでも甲子園のマウンドにいる。
安らかに。
追記 書きました アナザーストーリー 2018.8.1
石田さんのお父さんがインタビューに答えておられました。桑田さんはジャンバーをあげたんですね。