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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

徹子の部屋 永六輔(2013年放送)

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作詞家でいらっしゃり 数々の作品をお書きになりました

作家でもいらっしゃる。長くラジオにも出ていらっしゃる。
で、なんかさっき「パーキンソンです」って言ったら
「へー、そういう紹介の仕方するんだ」って
他人行儀じゃない?
パーキンソンとかアルツハイマー、全部発見した人の名前。

あなたNHKに「テレビ60年」で行ったら
「誰このかわいいおじさん」て言われたんだって?

テレビの場合、めったに出ません。
小沢さんや加藤さんと一緒で。
もうおじいさんですよ。80ですよ

ラジオの仕事で、一時本当に何言ってるかわからないと
言われた時期があって。やめるべきだって世論があった。
その時小沢昭一さんが
「あなたラジオの前にいるだけでいいから、やめるな」って
言ってくれて。
「しゃべれなかろうが、ろれつが回らなかろうが
そんなこと関係ない。永六輔はラジオの前にいればいいのだから
絶対やめるな」
だってこの前反省ザルがすごくお利口で反省したりなんかして。
踊ったりなんかしたんですけど、反省ザルのところへ行きなさいといったのは
小沢さんなんだってね。

周防猿回しだけじゃなくて、大道芸とか
小沢さんが残すってのは
身内で言うと落研とか。
ボクは早稲田の高校生で。
中村八大さんが、クラシックのコンサートやるっていうの
早稲田の講堂に聴きにいったんです。
音楽講堂の下に小さな講堂があって、そこで落語やってますと。
それが小沢さんとはじめて会った学校なの。
落研は加藤武さんとか。
小沢さんには最後の最後までお世話になりました。
パーキンソンになって歩けないから、小沢さんが代わりにやってくれたのが
最後になった。
早稲田の落研は自分が作ったなんて
絶対自分で言わないもんねぇ。
パーキンソンだと、つっけんどんだと言われちゃうんだって?
 
 
病状が自分で把握できないの
ひどい日もあるし、どこが悪いのっていわれるぐらい
調子のいい日もある
すたすた歩ける日や、車椅子じゃないとだめな日もある
パリにパーキンソンのお友達がいて
一緒にご飯食べてて帰るって時に
お盆持ってがちゃんがちゃんって落っこちたの
わかった、パーキンソンってこれなんだって
つまづいて転ぶようになったら、パーキンソンだって、注意してください。
 
二人で歩くときはつかまるようにするから。
 
悪口でもいいからその人の話をしてあげるのが供養
渥美清さんを終戦直後から知ってたんだって?
上野では有名な母子でした。
戦災孤児がたくさんいて
あなた東北から引き上げてきたんでしょ。
都内の焼け跡から金目のものとそうでないものとに分けて替えるのが
我々子供たちの仕事。
そこから我々にお小遣いをくれるのが渥美ちゃんの仕事だったの。
そのとき、面白い顔のひとだなぁとか思わなかったの?
こっちも古い寺ですから
あんな人と付き合っちゃダメとか、言われるんです。
渥美ちゃん、田所康夫さんが捕まったとき
おまわりさんが
「お前みたいな特徴のある顔は、悪いことするには似合わないぞ」と。
芸人だったらすぐ覚えるからいいけど、悪人なったらすぐ捕まるぞ、と。
それで浅草のストリップ劇場に行ったら
舞台監督で井上ひさしがいるんです。
僕はクラブ活動で言うと、短歌。短歌は寺山修司。
俳句研究会、会長は大橋巨泉だったんですよ。
学生の時からえばってるの、あいつは。
それからNHK行ってあなたに出会うわけです。
入ってすぐの時にディズニーのオーディションやって
最後まで残って落ちたら
ミスター・カッティングってひとがあたしに
残念だったから赤いハンドバッグ渡してくれって、あなたにことづけたのね。
あなた、ワタシが元気だと泣くのね。
 
レコード大賞でふたりのなまえが出た時
(←黒い花びら:中村八大作曲 永六輔作詞)
これで学費が払える、と。