70年代からほとんどの曲を知っている。覚えている。
サザエさんをはじめとして。ひと月に45曲も書きあげた時期があるとか。ウィキ参照
「ジャパニーズポップスの先駆者」by 郷ひろみ:「男の子女の子」(←最初のうちはうまく歌えなかったそうで、リズム指導をしてもらった。歌が歌えなかったというコンプレックスを乗り越えた。先生は妥協して書いてくれたのかなぁ、と質問したら、「あの時は郷君は素人だったし、音楽的なレベルで曲は書いていないよ」という答えが)「花のように鳥のように」~「美貌の都」など。
ジュディ・オング:巨人。「魅せられて」
太田裕美:音楽に対する幅がどん欲「雨だれ」「木綿のハンカチーフ」「しあわせ未満」「ドール」
いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」で存在を知らしめた
大きな影響を与えたのは、島倉千代子「愛のさざなみ」(作曲は浜口庫之助。)
子どものころ好きだったのは「ストラウスのワルツ」青山学院の聖歌隊に入っていたが演奏の方に回る。洋楽好きの母親の影響も受ける。
彼をこの世界へ導いた、作詞家橋本淳氏についてはこちら参照
筒美京平を語るメンバーが錚々たるもの。
伊集院静(←伊達歩として「ギンギラギンにさりげなく」など)、船山基紀・・・。
売れる音といい音は違う
このあと細野さんをETVで観たんだけど、音楽に対する微妙な考え方の違いが聞けてよかった。また、細野さんのと同様、はっぴいえんどが取り上げられた。ドラムスの松本隆との出逢いでが分岐点になったと。
松本隆: 最初はすごく反発してて。でも、僕はいろいろやったけど、一番フィットしたのは筒美さん。化学反応が起こせればいいなと。頭がちがちの人間でも、筒美京平は認めている、すごいですよ、はっきりいって。(吉田)拓郎にしても、本音は京平さんにはかなわないと、はっきり言葉にすると、自分の存在価値がなくなるのを知ってるから。いつも強気で、ワーッと。でもみんな内心でそう思ってる。
「ヒットストーリー」中でも拓郎さんは
やったなーと思うと いつも筒美京平の曲である
口ずさんでいるのは いつも筒美京平の曲である
と寄せている。
筒美京平:いちばん脅威だったのはニューミュージック。自身の弱点は、歌謡曲チックな面を持っている。抽出の仕方が同じだな
笠浩二(C-C-B「Romanticが止まらない」):「松本隆・筒美京平」からもらったってだけで、歌えなくなった。僕の声で考え「この子で行こう」と、プロデューサーから聞いたのですが、実際ほんとに言ってくれたのかどうか。
「よく覚えてないですが、他のメンバーにない高い声だったので、面白いサウンドだと感じた。音の高さだと、メンバーの渡辺君も結構高いのがでるけど、こういうのが面白いなと。」
井上順「お世話になりました」も。
母が家事をしながら歌っていたのが「真夏の出来事」だったり、テレビをつけたら「木綿のハンカチーフ」「恋のインディアン人形」が流れていたり。生活の一部だった。ものすごい古い記憶がよみがえった。
驚いた。フジの幻の打ち切り番組「ビッグベストテン」(←黒柳さん久米さん見てますかぁ、などと悪乗りした挨拶と共に消えて行った)で歌う桑名正博の映像。。
アイドル系の人の場合は、音の隙間を面白い音で埋めて、聴く人を飽きさせないようにすることが大切。
不意に、昔の南沙織のVTRが。なんてぇ贅沢な番組だ。もう、麻丘めぐみとか浅田美代子とか、自分たちよりちょっと上の世代だったらもっと興奮しっぱなしだろ
追記:2020.10.12~
筒美京平さんは10月7日、誤嚥性肺炎のため亡くなられました。80歳。再放送希望
dボタンのNHKニュース、ズラリ並んだ代表作「なんてったってアイドル」「仮面舞踏会」に混じって「ツイてるね、ノッてるね」が。なつかしや。
読売新聞の訃報記事、作曲年表リストには「TENKAを取ろう!~内田の野望~」が。すっかり忘れてた。選んだ記者のセンス。
BSプレミアム カバーズ the Cavers 筒美京平ナイト 郷ひろみ/2020.10.追記 - 別館.net.amigo