親友は藤あや子
テーブルに朝食がセットされていた。
お盆で届けてくれたみたいで・・・
藤さんって、朝からたくさんのお料理を作る方で。
食べきれない時はタッパーに入れて、次の日の朝食べようとか。
どれだけ私が何も作らないと思ってるんでしょう。
あやちゃんが逆に忙しいときに、お好み焼きとかハンバーグとか
年に何回かお返ししてるんですけど。
お孫ちゃんの七五三も一緒にお参りして
「この日は絶対にスケジュール空けといてね」って。
デビュー当時はそんなに仲良くなかったんです。
師匠が同じで。(猪俣公章氏)
あやちゃんは外弟子、私は内弟子。
先生が亡くなられてから仲良くなった。
結構楽ですよ。朝食作ってくれるし。
冬美が結婚できないのは、あや子のせいよ。
●記憶の中できらめく曲
石川さゆり 波止場しぐれ
高校卒業してお勤めするまで、ずっと憧れて憧れて。
中尾さんってお宅があって、カラオケの機材がある家だった。
そこで練習して、歌をカセットに録音してくださって
「勝ち抜き歌謡天国」で優勝した時の歌。
どこまで通用するのかなって気持ちもあったけど
もし認めてもらえなければ歌手の道は諦めようと。
番組でペアを組んだのが猪俣先生。
うちへ来なさいって言われて、すぐ歌手になれると思って。
上京したら家の掃除や先生の下着の洗濯とか。
この生活はいつまで続くのかと思った。
「実は譜面が読めないので、教えてくださいますか?」と言ったら
「ばかやろう!演歌歌手に譜面なんかいらないんだ。
才能があるからスカウトしたんだ。あとは俺が何とかする。心配するな」
1年弱ぐらい続いて、来年3月にデビューさせましょうって話が決まって。
決まったことでちょっと安心して。曲を作ってくださって。
それが「あばれ太鼓」
サワコ:北島三郎さんの歌みたいですね
石川さゆりさんに憧れて入りましたでしょ。
候補が8曲あって、一番嫌だったのが「あばれ太鼓」(笑)
あちゃ~って感じだった。
「先生、私この曲流行らないと思うんです」
だって一生ついて回るじゃないですか。30年経っても「あばれ太鼓」だし。
「ばかやろう!!新人が売れるとか売れないとか、100年早い!!」って
怒られました。
今より10キロ太っていましたし。見た目が「あばれ太鼓」(笑)
2年目で紅白出場。
舞台の袖でさゆりさんが「がんばってらっしゃい!!」背中ポンって押して
余計緊張しちゃって(笑)
中尾さんってお宅があって、カラオケの機材がある家だった。
そこで練習して、歌をカセットに録音してくださって
「勝ち抜き歌謡天国」で優勝した時の歌。
どこまで通用するのかなって気持ちもあったけど
もし認めてもらえなければ歌手の道は諦めようと。
番組でペアを組んだのが猪俣先生。
うちへ来なさいって言われて、すぐ歌手になれると思って。
上京したら家の掃除や先生の下着の洗濯とか。
この生活はいつまで続くのかと思った。
「実は譜面が読めないので、教えてくださいますか?」と言ったら
「ばかやろう!演歌歌手に譜面なんかいらないんだ。
才能があるからスカウトしたんだ。あとは俺が何とかする。心配するな」
1年弱ぐらい続いて、来年3月にデビューさせましょうって話が決まって。
決まったことでちょっと安心して。曲を作ってくださって。
それが「あばれ太鼓」
サワコ:北島三郎さんの歌みたいですね
石川さゆりさんに憧れて入りましたでしょ。
候補が8曲あって、一番嫌だったのが「あばれ太鼓」(笑)
あちゃ~って感じだった。
「先生、私この曲流行らないと思うんです」
だって一生ついて回るじゃないですか。30年経っても「あばれ太鼓」だし。
「ばかやろう!!新人が売れるとか売れないとか、100年早い!!」って
怒られました。
今より10キロ太っていましたし。見た目が「あばれ太鼓」(笑)
2年目で紅白出場。
舞台の袖でさゆりさんが「がんばってらっしゃい!!」背中ポンって押して
余計緊張しちゃって(笑)
●夜桜お七~休養~二葉百合子~復帰
三木先生がギターでザン、ザンと弾きだしたらワクワクした。
でも曲が始まったら、レコード会社のほとんどの方が大反対した。
「坂本冬美を潰す気か」
「今までこうやって演歌の路線を構築してきたのに」
でも先生が「この曲がもし売れなかったら頭を丸めます。責任を取ります」
発売に至ったんですね。これがピークだと思いました。
これが代表曲で、だんだん落ちていくんだろうなって。
10周年はコンサートもあり、忙しくて盲腸になってしまって。
ものすごく無理をして無理をして、疲れがピークですね。
美空ひばりさんの「柔」をNHKで生で歌わなくてはいけなくて。
ひょろひょろした歌しか歌えなくて、ものすごく自信をなくしてしまった。
ステージで歌うのが怖くなってしまった。
気持ちも体もボロボロになった時、父が突然の事故で亡くなった。
最終的にこれが歌っていく上で・・
自分の気持ちを乗せると歌えないから、騙して表面で歌う。
これではいけないと思って、15周年でやっと
「お願いですから休ませてください」と言えた。
我流でずっと歌ってきて、仕事にかまけて勉強もせず。
やってないって気持ちがいつも根底にあった。
大きなステージを与えていただいて、気がついたら15年たってた。
休養と言いつつ辞めるつもりだった。「最近みないね」でフェードアウトするつもりで。
事務所にも連絡を取らなかったら、スポーツ紙に死亡説が出た。
「ここにいるし」(笑)母が「今帰ってきちゃダメよ、カメラ持った人がいっぱいいる」
ほとぼりが出て家に帰ったら、65周年の二葉百合子先生のコンサートが
流れていた。「岸壁の母」が突き刺さって。
「強い精神力を持ちたい」と手紙を書いたら
「すぐいらっしゃい」と。
「あなたも歌の壁にぶつかったのね。私も乗り越えてきた。
壁に気がつくことは成長なの」って。マイクのない頃から生で歌ってきた先生。
浪曲のお稽古を大きな声で歌う。8ヶ月歌ってなかったので
声帯がカスカスだった。
声が出るようになって、帰りの車の中で運転しながら
「夜桜お七」の「さくら」のあたりを歌ったら、なんとなく届いたような。
そのことを社長に言わなきゃと思って電話したら「うんわかった。あとは任せな」
●いま心に響く曲
サザンオールスターズ:栞のテーマ
三木先生がギターでザン、ザンと弾きだしたらワクワクした。
でも曲が始まったら、レコード会社のほとんどの方が大反対した。
「坂本冬美を潰す気か」
「今までこうやって演歌の路線を構築してきたのに」
でも先生が「この曲がもし売れなかったら頭を丸めます。責任を取ります」
発売に至ったんですね。これがピークだと思いました。
これが代表曲で、だんだん落ちていくんだろうなって。
10周年はコンサートもあり、忙しくて盲腸になってしまって。
ものすごく無理をして無理をして、疲れがピークですね。
美空ひばりさんの「柔」をNHKで生で歌わなくてはいけなくて。
ひょろひょろした歌しか歌えなくて、ものすごく自信をなくしてしまった。
ステージで歌うのが怖くなってしまった。
気持ちも体もボロボロになった時、父が突然の事故で亡くなった。
最終的にこれが歌っていく上で・・
自分の気持ちを乗せると歌えないから、騙して表面で歌う。
これではいけないと思って、15周年でやっと
「お願いですから休ませてください」と言えた。
我流でずっと歌ってきて、仕事にかまけて勉強もせず。
やってないって気持ちがいつも根底にあった。
大きなステージを与えていただいて、気がついたら15年たってた。
休養と言いつつ辞めるつもりだった。「最近みないね」でフェードアウトするつもりで。
事務所にも連絡を取らなかったら、スポーツ紙に死亡説が出た。
「ここにいるし」(笑)母が「今帰ってきちゃダメよ、カメラ持った人がいっぱいいる」
ほとぼりが出て家に帰ったら、65周年の二葉百合子先生のコンサートが
流れていた。「岸壁の母」が突き刺さって。
「強い精神力を持ちたい」と手紙を書いたら
「すぐいらっしゃい」と。
「あなたも歌の壁にぶつかったのね。私も乗り越えてきた。
壁に気がつくことは成長なの」って。マイクのない頃から生で歌ってきた先生。
浪曲のお稽古を大きな声で歌う。8ヶ月歌ってなかったので
声帯がカスカスだった。
声が出るようになって、帰りの車の中で運転しながら
「夜桜お七」の「さくら」のあたりを歌ったら、なんとなく届いたような。
そのことを社長に言わなきゃと思って電話したら「うんわかった。あとは任せな」
●いま心に響く曲
サザンオールスターズ:栞のテーマ
演歌しか知らなかったあたしに
中学の頃、初恋の山本君が教えてくれたサザン。
デートといっても、川ですよ(笑)
中学の頃、初恋の山本君が教えてくれたサザン。
デートといっても、川ですよ(笑)