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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

【水曜日のダウンタウン】本物のハチ公を見たことがある人この世にいる説 ドクター中松 

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まだギリこの世にいる説

90代ならハチ公を見ているのでは

西郷隆盛さんが引いてた犬ですよね?(違う)
ビビる大木:あれは一応「ツン」て言われてます。

大型犬の秋田犬。

株式会社西村聰本店 代表取締役専務 西村元孝さん

昭和初期から同じ場所にあるのが、渋谷西村フルーツパーラー(昭和10年1月~)
ハチ公が亡くなったのは同年春ですので、もう最後、晩年の数か月、同時期にこの地にいた人ということになりますね。

祖母(末子さん)からは「ハチ公に餌をあげた」、父(敏男さん)からは「こんな大きな犬がのそのそ歩いている記憶がある」そういった話は聞いたことあります。その頃は今のセンター街の界隈がまだ細い路地で、焼き鳥屋さんがいっぱい並んでるような所にきて、酔客からですね、焼き鳥の残り物をもらってたとか話は聞きますね。

ご健在だったらやっぱり90代半ば以上の方ですから。さすがに商店街町会の方も、その年代の方は、なかなか町では今出てらっしゃらないのかなと思います。

魚力 鈴木徳久さん

大正時代から営業。
亡くなった祖母からは聞いたことありますし。実際に祖母は「見たことがある」と言ってましたので。映画を見た日の夜に聞いたので、もうものすごく記憶に残ってますね。「毎日来ててすごい犬なんだね」って話をしたら、駅のとこには焼き鳥屋があって毎日そこに行けば、焼き鳥食べてる人からもらって。電車が終わればお店も閉まるから、だから家に帰ってって。毎日それを繰り返してたんだよって。いまとなっちゃぁね、それは本当かどうかわかりませんけど

目的はご主人か焼き鳥か問題

90歳以上の入居者に聞いた老人ホームも。

石川清子さん

1932(昭和7年)生まれ

戦災で焼けましたので、家が。焼け跡に小さな家建てて。駅前は闇市で大変でした。今のセンター街とかね、本店通りの辺は小さい闇市みたいのがいっぱいあって、いかがわしいものいっぱい売ってました(笑)
終戦6年後に)東横の東館の屋上がちょっと遊園地みたいになってて、それで西館ができたときに、ちっちゃなロープウェイができたの。⇐※旧西館~旧東館、東横ビルをつないでいた。1951年、1年半だけ運行。

小糸さん(現役の芸者)

1929(昭和4年)生まれ

渋谷の街で20歳から芸者。

昔はね(芸者さんが)100人近くいたんじゃないかしら?でも今は4人です。みんなもう、料亭さんがおやめになっちゃって、そのあとがね、ラブホテルだからね。料亭さんがラブホテルやったわけじゃないですよ。もうね、ホント山手線ぐるりにね、花柳界ありましたよ。駅ごとに(100人)今はね、寂しくなっちゃって。料亭さんというのは一軒ですね。

※ここまで渋谷区の歴史を振り返る

白根記念 渋谷区立郷土博物館・文学館

学芸員・松井圭太さん

ハチ公が生まれたのが大正12年11月。翌年13年1月に渋谷にもらわれてくるんですね。
※飼い主は東京帝国大学上野英三郎教授。飼い始めて1年後に他界。ハチ公が通った話は待ち続けて7年後、昭和7年の新聞に掲載。昭和10年に亡くなるまでハチ公フィーバーが続く。

銅像は亡くなる1年前に建てられ、除幕式にハチ公も出席。

ハチ公の獣医をしていた方の息子さんに、いろんな際にお話を聞いていたんですけども、昨年の12月に亡くなられて。

牧野和子さん

1931(昭和6年)生まれ

駅から2~3分のところかな、うちの前は東急の本社だったかな。木造建てでずーっと長くね。ハチ公、見ましたよ。大きいですね、結構ね。4歳ぐらいだと思うんですよね。うちの前。父親がね「あっハチ公通るよ」と言ったんで、お店(金物屋)の中で見たらスーって通っただけ。駅の周りでも結構いたらしいんですけど、駅の前に屋台がいっぱいあったんですよね。飲んで焼き鳥か何かやって、そんな硬いの捨てるでしょ、それをよく食べてた

黒井眞器さん

1926(大正15年)生まれ

道路を渡るのを私が山手線の中から見た。山手線の窓から下を見た。左を見て、右を見て、それで渡っていったのを見てた。上から見たんです

道子さん

1928年(昭和3年)生まれ

私が3年生まれですから、ハチ公さんは10年に亡くなったんでしょ?だから7歳の記憶なんでしっかり覚えてます。あのね改札のとこね、ウロウロウロウロ、じーっと待ってるわけじゃない。動き回ってましたよ。みなさん頭なでたりなんかしてました。おとなしい犬で薄茶色の、あんまりキレイではなかったけど...

ドクター中松

1928年(昭和3年)生まれ

今ね、長経験者っていうのよ。長経験者プラットフォームっていうのを作ってましてね。昔の話、いろんなことを知ってますんで。例を言うと「二二六事件」今の原宿のうちの道路の目の前に機関銃隊がズバッと

(ハチ公は)もう寝そべってんですよ。ガターンとしてもう寝そべってね。もうそれこそワンともいわないしね、反応も全くしないです。最後のご奉公で渋谷駅で主人を待ってたということですよね。

醍醐忠久さん

1928(昭和3年)生まれ

幼稚園の頃、大崎におりまして。山手線で渋谷で降りまして、改札口を出ますとハチ公がいたんで。頭を撫でて、かわいいんで。ちょうど幼稚園だったから目線と向こうの目線が合うぐらいな感じで。向こうから私ぐらいの年配の人が来て「私の母は忠犬ハチ公飼ってたんですよ」って言うんでびっくりしまして。左の耳が折れてましたけど「私の母が、ケンカで帰ってきたんで先っちょのほうが切れてたんで、縫ったんだけど素人だからきっちり元になんなくて折れてしまった」ってそんな話をしました。非常に偶然で私もびっくりしました

見事に映画出演を果たす忠犬ハチ公34秒 - YouTube