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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

ボクらの時代 石橋静河×森山未來×長塚圭史 父、バレエの話

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石橋静河森山未來

バレエ、ストリートダンス

バレエは4歳から。海外留学4年間。父・石橋凌、母・原田美枝子

長塚 ダンスに走るっていうのは反抗なの?(笑)

石橋 今思うと反抗でしかなかったと思います(笑)物心ついてすぐぐらいに留学に行ったんですけど、自分が覚えてる限りの、最初の方の記憶から「私はお芝居はやらない」言ってたんです。でもそんなの知らないじゃないですか、そんな小さい子がお芝居の世界がどういう世界か、どういうものか。だからやりたかったのかなとも思う。
そういう、思ったことすら覚えてないぐらい全否定してたんで、反抗でしたね。

6歳ぐらいの時に、ロシアのワガノワってあるじゃないですか。そのドキュメンタリーをもらったんですよ。テープが擦り切れるまで見た。すごい厳しくて、10歳にならないぐらいの子供たちが、身長はどれぐらいになりそうだ、体重はこれぐらいに、って厳選されて、脱落する子もいれば...ずーっと見てました。

森山 なんで~(笑)要はレッスンしてるところもあるから?
石橋 そうそう
森山 線引きされたりするところにすごく惹かれたり(笑)
石橋 違う違う(笑)そういうのを経てバレエをやってる人たちが、違う国でやってるってことに。未來さんはダンスをやってて。男の子で周りにやってる人はいたんですか

森山 いない。
石橋 そこは抵抗なかったんですか
森山 今でこそ子供クラス、ストリートダンスもあるし、いろいろあるけど、その頃無かったから。大人に混じってストリートのレッスン受けてた
石橋 おもしろそう。前のほうが男の子が踊るのはちょっと、みたいな、恥ずかしいみたいな空気があった気がしたんですけど。そこはあまり、未來さん自体は感じてなかったんですか
森山 のめり込まなかった理由は、もしかしてそういうところにあるのかも。原体験はミュージカルだから。どバレエではない。単純に惹かれなかったってのもある。やっぱり、黒のタイツ履くことに抵抗はあったかな。もちろんなくはなく。

石橋 留学したのは「私このまま日本にいたら、ヤバイ大人になってしまう」危機感があって。自分の家族とか友達とかから出なきゃ、って気持ちで。
長塚 どうだった?行ってみて

石橋 最初の二年は孤独でした。全然しゃべれないし。友達もできない。小学校から中学校までずっと同じ学校に行ってて、完全にヌクヌクと安心する環境でいたから。そこから、あなたはどうしたいの?ってことを常に言われ続ける文化じゃないですか。

二世俳優

両親の話

長塚(両親とは)お芝居の話したりするの?

石橋(笑)私から振らない限りあまりないです。自分で始めたんでしょ、っていうのが強いんで。向こうから「あれ見たけどああだったよ」っていうのは絶対に言わないでおこうと、固く心に誓ってる感じがする。余計なこと言わないようにしようみたいな。熱い演技論はしないですね

森山 昔みたいに七光りって聞かなくなってません?
長塚 うん、聞かない。
森山 イスラエルに行く直前、送別会みたいなのを圭史さん含め3人が開いてくれて。圭史さん、北村有紀哉、松たか子(笑)すごいメンツに囲まれてんな、と思いながら。みんなそれなりに二世俳優と呼ばれてる人たちじゃないですか。二世がどうとか七光りがどうとか、親御さんが芸能の世界にガッツリ関わってる人だったら、アドバンテージ持ってるよねそりゃ、力強いよねって普通に思っちゃいますけどね。それでアカンかったらアカンかもしれんけど

長塚 別に二世、オヤジが俳優だからってことじゃなく、どんな業種でもあることだしな。演じるって恥ずかしいってのが子供たちの中にあるじゃない。学芸会にしてもさ。恥ずかしいことないもんね。恥ずかしいって思ったら、自分の父親が恥ずかしいことになっちゃう(笑)全然ないわけよ。学芸会やるって言ったら「じゃ、やります」恥ずかしくないから

森山 僕、父親のこときかれたら、即答で「全力少年」て答えてて。役者という特性で考えたら、その時その時で職業が変わるじゃない。フィクションの世界で。僕の記憶の限りではマジで職業変えてたから(笑)自営業という名のもとに。その時自分が興味あるものをどんどん起業しては...っていう人だったので。ともに過ごしていく母親はさぞかし大変だっただろうとは想像するけど。今となってはすごい行動力だったなと思う。見ながら育ってきた感覚は自分の中にある。

長塚 なんかそれは、名前にも込められてるね
森山 名前は母親が付けたんですけど(笑)