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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

日本人のおなまえっ(2020年放送)売野雅勇が語る「少女A」「禁区」糸井重里と沢田研二「TOKIO」作詞のウラ側

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TOKIO沢田研二・1980)
糸井重里

仕事を頼まれた形がちょっと特殊で「今度沢田研二さんのアルバムが出るので、アルバムタイトルと全曲のタイトルを糸井さん一人で作ってもらえませんか」頼まれたんですよ。こんな曲名があったらいいなと思うのを先に考える。詞の内容は
考えてませ
ん。欧米に追いつけみたいなことを意識してきた時代が長くて、日本としては追いつけるかどうかわからないけど、東京という街に限定すれば、もしかしたら今まで先に行ってたものに追いついたり、追い越したりする可能性があるんじゃないかな。これから東京っていうことをもっと言おうと。
「東京」って付けるのダサかったんですよ「東京がかっこいい」と思われるように。ピークにいるようなトップスターが「東京だよ!」昔なら「東京だよおっ母さん」になっちゃうんだけど(笑)東京をテーマにした歌がいっぱいあったんで。
フランスのシャルル・ド・コール空港ですか、飛行機に乗っちゃってから外に見えた(看板の)文字。沢田研二にそれを言わせたらものすごくかっこいいなあと思って。これから東京の時代になるんだよっていう
ついては糸井さん、アルバムタイトルの曲「TOKIO」はご自分でやってもらえませんか?と言われたんです。僕はコピーライターとして、タイトルを作る仕事を引き受けるつもりでいたら、1曲だけ「この詞はあなたがやりなさい」と言われたんですよねえ。野球場がすごく好きで、野球場をデコレーションケーキみたいな感じで見てるんですよいつも。野球場が空を飛ぶ絵をいつかポスターにしたい、それを広くして東京を飛ばしちゃえばいいや、と思って。ゴジラは東京を壊したけど、僕は東京を飛ばした。

君は1000%(カルロストシキ&オメガトライブ・1986)
カルロストシキ

古舘さん元気ですか?昔すごくお世話になって。インタビューとか。ピラニア食べた時かな?魚のピラニア料理。ブラジルのサンパウロで。

ミッツ ほぼほぼ毎年来てるんですよ。にんにくの収穫が終わると

1985年にオーディション受けて、当時のオメガトライブのプロデューサーからバンドのボーカルとしてデビューと言われて。そのデビュー曲を作ってる作業の中で、もっとお互いを知り合うためにハワイ旅行に誘われたんですよ
ポルトガル語って難しい?どう?」って聞かれて。話してる中で、ブラジルの1000%が日本の100%で「すごく面白い」という反応で。
ポルトガル語で「セン(Cem)
」=「100」聴いてる人の想像に任せます

ミッツ 日本人が日本語で理解できる洋楽だったんですよ。初めて意味が理解できる洋楽

古舘 でね、インタビューで話すとカタコトなんですよ。それがかわいい。カルロストシキかケイン・コスギか(夜ヒットは)なんの理由もなく「今週はロンドンから生中継」(笑)
ミッツ で「来週はパリからです」
古舘 パリの王宮前に特設スタジオ、ステージを作って生中継。日本から全員行くんです
ミッツ 明菜、キョンキョンアルフィー全員行くんですよ

少女A(中森明菜・1982)
売野雅勇
(若い頃の顔は地下組織みたいな)

ちょっとバカにしてたと思うんです。特にアイドルの作詞については。いざ自分が書く事になったらすごく難しい。
アイドルをやるからには自分の言葉、自分のスタイルで自分がかっこいいと思えるよう、自分に恥じることのないモノをつくろうと思ったんですね。

14歳ぐらい、中学生の頃、すごい綺麗でカッコイイ女の子がいたんですね。その娘が僕のことを好きで。相手は不良だから、不良っぽい娘だから、男の子に平気で誘いかけるんですね。

あの頃は犯罪が多かったかわかりませんが、少女A、少年Aって言葉は日常的な誰でも知ってる、誰でも目にする言葉。歌謡曲のアイドルの歌にすることは、ある程度意義がある。タイトルは一番大事。行けるところまで行く。行ってはいけないギリギリを攻める。
(スタッフは)仮のタイトルだと思ったらしい。「売野さん、そろそろ本当のタイトルを出していただけますか?」(笑)と言われて「それがタイトルなんです」「これがタイトルですか?」芹澤さんも「こんなのでいいの?」と思ったそうです。これ通らないんじゃないか世の中に、って感じ。
(明菜は)「不良なのは嫌だ。Aって何よ?明菜ってこと?」ふてくされて。「1回でいいから歌って」歌ったんですね。それが良かったって話

※ジャケ写も不機嫌な状態で撮った 

1981.11.11付新聞記事「仲間にリンチ」ボーイフレンドの奪い合い少女A子17歳、2020年現在56歳か。どうしているのやら。当時はセブンティーンやらポップティーン読んでた。
今どう思ってるか本人に聞いて欲しかったな...

禁区(1983.中森明菜

アリスに同行して写真集を出すということで中国に同行したんですね。コンサート中にお付の人(通訳)がいるんですけどうるさいんで、ちょっとまいてやろうと。そいつのわかんないところへ行っちゃおうと、工人体育館の裏手へ一人で行った。この先何があるんだろうと興味を持って行ったらいきなり「禁区」とデカい文字が。白い扉に赤で。この拒絶感。すごい権力というか、すごいものがあった(命の)保証はしないよ。いつか誰かに。

ディレクターがビビって「売野さん、最終的に禁区でいきますけど、とりあえず仮のタイトル違うの付けてください」「どういうのがいいですか?」「めばえ」とか「とまどい」(笑)タイトルだけ切って上から貼り付けてコピーしてFAX流した。

1/2の神話(1983)
もともとは「不良1/2」周囲の猛反対があって。
インタビューで聞く人はいないですね「1/2の神話は売野さん?」て言う人はいないですよ。だからインパクトは弱かった。タイトルが悪かったんですよ。最初のタイトルだったら大変なことになってたかも。絶対今みんなが「不良1/2ってあったよね、あれいいじゃん」ていう。ちょっと歌ってみたくなる、ってなったんじゃないかな。

みなみらんぼうは現在75歳。小学校の校歌も作詞。山口さんちのツトム君、中1の時に亡くなったお母さんを歌ったのが3番うちにあったレコードは斉藤こず恵バージョン。川橋啓史くんのが番組で流れた。吉岡秀隆(表記は「ひでたか」)、宮本浩次水森亜土バージョンも。