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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

サワコの朝 岸恵子 バカとエレガンスは同居できるのよ。

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日本は便利。店屋物は取れるし。
パリは不便なところに住んでて
スーパーがないの。ちっちゃなスーパー1個だけ。
で、遠くまで行くの。買いすぎてカートが壊れたり
タイヤが外れてセーヌ川に落っこったり。

 

パリ国だと思ってる。
フランス人とは全然違う。フランス人は農耕民族でしょ。
パリだけがすごく洗練されてて
知識とか教養がある人がすごくいて、でも毒があって。
毒にすごく当てられたんだけど、それもいいなって。
へこたれることあるわよ、わたし。
でも回復する。

 

バカとエレガンスは同居できるのよ
エレガントであるかもしれないけど
パリの五月革命の最中に、
その頃ジャーナリスティックなことしてたから
マイクだけ持って。
ジャン=ルイ・バローの演説を取りに行くつもりだったのね。
シャールってフランス人がカメラ回して、ふたりで。
30過ぎてるのにスクラム組まれていい気持ちになって
催涙弾投げられて。
翌日ずっと目が見えなかった。

 

記憶の中で今もきらめく曲
桜んぼの実る頃 イヴ・モンタン

 

あたしがすごい音痴で歌いだしたら、歌ってくれて。

大変な思いもしたのよ
女友達にこっぴどく裏切られて。

 

24歳、イヴ・シャンピさんと結婚。
春風が入ってきたように思ったの。
怪物的なスターになるのが嫌だったの。
「君の名は」やっちゃったでしょ?
どこへ行っても黒山の人だかりだった。
普通の女として扱ってくれる人がいなかった。
イヴ・シャンピさんが普通の女の子として扱ってくれて。
「あなたを見ていると、日本だけに住んでいるのがもったいない」と
言ってくれた。
その頃海外旅行を禁止されてた。
切符なんか買えなくて母も連れて行けなくて。
それが昭和39年まで続いた。
古い古い人間なの。申し訳ない。
親は(結婚を)反対しなかった。
彼が言ったことは
「殻を割らなければオムレツは作れない。
人生というもの、1度や2度は二者択一の時がある」
だから私はカラをわろうと思った。
最初は先生のようなお兄さんのような気持ち。
結婚生活でも続いちゃった。私勇気だけしかないの。
女優をやめたいとは思ってなくて
いっぱいオファーが来たけど
妻にはそばにいて欲しいのよね。
彼はすごく心の広い人だけど
時々すごく寂しそうな顔をするの。
だから全部断って。
日本に帰ったら、木下恵介監督が空港で待っててくださった。
それからわっと(仕事が)来て
2週間の予定が2ヶ月になったり。
そうすると男の人は嫌よね。
そばにいて脚本褒めてくれる女性が欲しいわよね。

新しい女の人が現れちゃって
それは仕方がないでしょ。
(離婚の原因が)そうじゃなくて・・そうなんだけど(笑)
イヴが
「とんでもないこと考えないでね。例えば離婚とか」
だから、あ、離婚てあるんだって。
その場で「離婚しましょ」
娘は生木を裂かれるような思いだっだと思う。
だってパパ大好きだったから。
「慰謝料も教育費もいらない」と言ったら
「僕には払う権利がある」と。
でも女性がいい広めちゃうの
「恵子のおかげでお金がどんどんなくなる」と。
それを聞いたとたん「もういりません」

その頃から書き始めて
今でもむしゃくしゃすると、ものを書くと落ち着く。

私なんか廃棄物だもん(笑)

女性の体が(男の体も)脳を含めて変わってゆく
恋とかそういうものを考えないと錆び付く
全く恋をしないと干からびちゃうんだって。
婦人科の先生に聞いた。

ぬっこりと幸せなあなた
いい御主人がいて子供が何人もいて孫もいて
時々温泉に行ってなんの心配もなくのんびりと暮らしてたら
そういう(シワのある)顔になるわよ。
あたし端数切り捨てるの。(82だけど)80。
おしゃれをしなさい、ひとりでいるときも。
孫に対して気を遣う。
孫が来ると塗っちゃう。かっこいいの。

いま心に響く曲
愛について教えてくれる。
エディット・ピアフ愛の讃歌

追記(2016.8.4)
徹子の部屋に登場。
同じような話をしてた。