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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

【まとめ】ファミリーヒストリー 黒木瞳 福岡県八女市黒木町 樋口越前守実長

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野山を駆け巡り、勉強など全然しなかった。
「だからすごくタフな体を作ってもらったと思ってます」

4人きょうだいの末っ子。本名は昭子(しょうこ)
父・義仁は31歳の若さで亡くなっている。
祖父は父が1歳の時に亡くなり、その後祖母が再婚している。

父母の生前にもっと聞きたいことがあった。

■樋口越前守実長(ひぐちえちぜんのかみさねなが)とは。
樋口実長。
豊臣秀吉による九州平定(天正15年・1587)の際
代官の一人に選ばれた人物。
それまで治めていた星野氏は追放される。
黒木瞳の高祖父は、末裔の樋口彦平。
庄屋を任されるほど裕福だった。

■転機
曽祖父・亀太郎の兄、松次郎が金山の採掘に乗り出す。(星野金山)
多くの資産を投じたものの掘り当てられず、生活は困窮。一家離散。
松次郎は北海道へ。「畑も作ってあるから、おいで」
亀太郎は大正7年、福岡県西新町へ。
長男・俊吾はお茶の専門店を始める。
質の高さにグラバーが目をつけ海外輸出、
夏目漱石や正岡子規にも好まれ、経営は順調。
俊吾とミネ(黒木瞳の祖母)、大正10年に結婚。
3年後長女、5年後長男義仁(←黒木瞳の父)誕生。
ミネ27歳の時、長女と俊吾は腸チフスで亡くなる。

3歳で亡くなった娘の名前は「瞳」
黒木瞳の兄「何か縁があるんでしょうね、不思議ですね」

ミネは黒木町へ戻り、食堂で働く。

・ミネ、江上成見と知り合う
ミネの9歳年下。博労(ばくろう)。
一緒に暮らすようになったが、当時10歳の義仁は受け入れなかった。
息子の気持ちを考え、未入籍。
・義仁さん
昭和15年、義仁は八女工業学校へ。人気者となるが
同名の同級生「樋口義人」さんのもとへ間違ってラブレターが届く事態に。
福岡の工兵隊に召集されるが、戦地に行くことなく終戦を迎える。
地元の建設会社で働きはじめる。
昭和21年、武道廃止。剣道の防具没収。
農協に勤める武子さん(黒木瞳の母)と知り合うが結婚を反対される。
当時田舎の方では、父のいない家庭は敬遠される傾向にあった。
成見が頭を下げ、昭和26年結婚。

成見と義仁さんは一緒に博労をはじめる。

昭和27年、剣道解禁。黒木剣友会結成。

昭和35年、昭子(黒木瞳)誕生。
このころ博労の仕事にも陰りが見え始める。
武子さんは食堂に勤めるように。
お客さんの一人から宝塚歌劇団のチケットをもらい
家族で観に行く。ラインダンスを見た昭子は宝塚に憧れるが
宝塚への進路を父に反対される。
昭和54年地元の音大に合格するも、
内緒で宝塚音楽学校を受験し合格。父は「好きにしなさい」と折れる。

「ひるのプレゼント」映像は貴重。文枝師匠が司会だった。
剣道をする姿は初めて見た。
昭和60年、テレビで父娘共演。

「父のプラン通りからは外れてしまったけど
結果として親孝行ができてよかった」

3年前の九州北部豪雨。黒木町の人たちも避難生活を送った。

道路看板に標語が
「黒木です ひとみが見てます そのマナー」

ミネさんはデビュー前に亡くなった。
義仁さんは平成15年、77歳で

武子さんは平成19年に亡くなる。

2021年2月23日追記 一番遠い親戚さん

夫の母方の叔父は白鶴の先代社長。親戚に菊正宗酒造や嘉納治五郎がいる。BGMは清志郎の500マイル

 

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