水谷:石橋さんが子役上がりだって、ご存知でした?
浅田:子供をイメージできないですよね
石橋:旗持って「わ~いわ~い」って走って・・終戦直後の話で、浮浪児の役とかいっぱい子供が出る。結構忙しくて。この人が児童劇団にいたんだから。
水谷:子役上がりはみんな将来バランスを崩して、壊れていくのが多いんで、ふたりで「子役あがり保存会」作ろうかって(笑)
石橋:だいたい変声期、声が変わったり急に背が伸びたり。ちょうど12歳から18歳ぐらい。大きく変わりますね。そこで大体ダメになる。
浅田:僕も中学1年生の時から今と同じような原稿用紙使って、字を書くのが好きで。
水谷:実際にプロって言いますかね、小説書いたのそんな早くないんですよね。
浅田:40歳前後。ほぼ。
水谷:知ってましたか?ファッション関係の
石橋:そうそう
浅田:自衛隊も行ってですね。デビューできなかった。自分で思い詰めたこともなかったし。「どうしても」みたいな感じになったら辛くてダメですよね。
石橋:何回もやめようと思いますしね。僕らの場合は。20歳近くになって、このままじゃとても認めてもらえないなって。 豊なんかもそうだと思うけど、年とともに周りから追い抜かれていく。こんなことやってる場合じゃないと思うようになるんですよ。
石橋:意思でやってないですよね。子供の時のまま、遊びの延長で。
水谷:大人になっても、一生やれる仕事ではないと断言できる。定年退職はないけど自然退職はある。自分で本業だと思えない。
石橋:先生も、本書いてて売れなきゃプロと言えない・・
水谷:どこまでできるかわからないけど、できる限りやってみようと思ったのは娘ができたとき。蓮司さんに「お前ね、人生を変えてくれるのは娘だぞ、娘」僕に言ったことがある。
石橋:いい作品だけど監督がダメだから、共演者がダメだからと僕らは言い訳がある。
浅田:自分がどう書くかってことと「どう読まれるか」って事のもどかしさ。
水谷:どれだけ売れたか、どうお客さんが入ったか、わかりやすいバロメータではありますけどね。
浅田:気になっても気にしていない顔をするのが難しい(笑)小説家は。芸術家ですから無縁の出来事です、というポーズを取らなければ小説家は維持できない。増刷なりました、と編集者が喜んでかけてきても「次の仕事にかかっているからそのことは忘れてる」フリをして「ああ、そう」と電話を切らなければいけない(笑)
■競馬!!
石橋:(妻は緑魔子)夫婦の共通言語は「馬」なんですよ。娘が腹膜炎で入院した時、お金がなくなったんですよ。その時有馬記念で1万円女房とふたりで・・23万円になったんで、入院費払えた。
石橋:今は反省して自制してるけど、ど~んと。
水谷:自滅していくんですよ。
浅田:壊れていく自分を見るのがいいんですよ。自分がドロドロに自我崩壊。いつも偉そうに言ってる僕はどこ?私は誰?みたいな。自動的に金が消費されていくことに何の疑いも持たなくなってる。自分がいいんですよ。
水谷:ドンとやられたときに鏡を見る癖がついてるんですよ。走って鏡見に行って「こんなに青ざめてる」
水谷:先輩に「いつかおぼえられなくなる」と
石橋:体で覚えないと。肉体がなかなかドッキングしてくれない。
浅田:ぼくは書く文の何倍も読むようにはしてます。朝早起きして午前中執筆、午後は読む時間。
石橋:物語というもの「今度いつか書いてみよう」は限りなく持ってるもんなんですか?