.net.amigoココログ跡地2007~

まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

サワコの朝 高橋恵子 失踪の話。

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右と左、履いている靴が全然違うのに出かけちゃう・・
子育てで忙しかった時のこと。
でも歯磨き粉だと思ってつけたのが洗顔フォームだったり。
もう泡泡(笑)
●記憶の中できらめく曲
ザ・タイガース「花の首飾り」

女優になる前(12歳・中学生)の時に聴いていた。
わたし、ジュリーが好きだったんですね。
地下鉄で一回お見かけしてから。もちろん声もかけられず。
これ、北海道っぽいですね。
原野でタンポポとかクローバー、シロツメクサで作ったりとか。
中学生ぐらいの時に戸籍を見る機会があって
出生地のところに「熊牛原野番外地」・・
なんだと思って。すごいところで生まれたなと思いましたね。
お隣まで歩いて10分、学校まで1時間。

佐和子:夜になって家の電気消したら、ほんとに・・
真っ暗でしたね。
私は父が定年退職してから東京に来たんです。
大学にあげたいと思ってたのに
14歳の時にスカウトされたんです。
映画でデビューする時、カメラテストをやったんですけれども
撮影所のセットの中でカメラが回ってる時
すごく安心したんですよね。落ち着いたというか。
それまで学校に行ってても、転校を重ねていたから落ち着かない。
なじまなかった。やっと自分の居場所が見つかったと思いました。

 

■デビュー「高校生ブルース」
子役としてデビューするわけではないので
親に「ついてこなくていい」と。
どういう内容かも言わず。
いきなり大映の社長さんに呼ばれまして
台本渡されて「関根君コレをやってもらいます」
読む前に「はい」と言っちゃったんですね。
読んで「どうしよう」と思ったんですけど「はい」と言ってしまったという・・
ほとんど親に相談してものを決めることが無かった。
無口でおとなしかったです。騒がない、走ったこともない。
甘えるのが下手だったんです。
小さい頃は兄が寝たきりで。脳性マヒだったので。
母は兄の世話をしなきゃいけない。そのそばで私は見てる。
自分は食べることができるわけですから
迷惑をかけちゃいけないって気持ちがあった。

 

15歳で、普通の気持ちでは演じられない内容だったので
50人ぐらいのスタッフがいる中で、上半身裸になった時は
足が浮いてる、恥ずかしさの境地。
「脱ぐの恥ずかしくありませんか?」「別に」
平気じゃないというより、あんな恥ずかしいことないですよ。
自分ではどうすることもできない流れ。
「脱ぐ女優」と言われたり
すごく自分の中では女優として認めて欲しいのに
そうじゃないところでもてはやされたり話題になったりというのは
本意じゃなかったんですね。
トイレで泣いてたりすると、知らない方から

「泣かないで、大丈夫。あなたのことは知ってるから」
あ、私は知らなくても向こうは知ってる。これはどうにもならないなと。
わがままはあまり言わない。
怒鳴られたことはあります。監督に。
「関根のばかやろう、女優なんか辞めちまえ!」
でもホントにやめたらまずいでしょ、というのはわかってた(笑)
したたかだったんですね。私怖い人いないんです。今も。
みんなが「怖い」って言ってる人に会いたいんです(笑)
ご本人に会うと怖くない。
■失踪、逃避行、記者会見。
79年、24歳の時舞台を突然降板。
河村季里とバンコクへ逃避行。

これはなかなか一口に言えない。若気の至り。
死ぬつもりだったというか。
舞台をやめるなんてことは以ての外ですからね。
自殺未遂はしませんでした。
でも死んだあと、自分の荷物を誰が片付けるのだろうと。
親だなと思って。そんな思いはさせちゃいけないなって。
開放感というよりは自分を見つめ直すというか。
あるとき、マレーシアで
日本の餅みたいなのを売ってるおじさんが
丁寧に焼いてる姿を見て
「私にないのはこれだな」って思って。
15歳でデビューしちゃったので、見られてる時は一生懸命やるわけです。
人からこうしなさいと言われれば、怒鳴られても応えようとする。
でも見ていようといまいと、真心込めて何かをすることは
あたしにはないんじゃないかって。
海外を転々としてる時に一番思った。
親も心配してて捜索願も出してるわけですから
帰国して
父が「気丈な母親だけれどその時ばかりは寝込んでた」って。
どんなに親不孝したかと思って。


針のむしろに座るって感じ。
俳優さんたちも「私が出るなら出ない」
まず謹慎期間を自分で1年と決めて。
事務所がなく個人マネージャーだったので。
舞台の関係会社に相談して損害賠償を決めて。


記者会見も自分で仕切りました。
「あなたは人間としてバツがついた」「人間失格だ」と言われて
なかなか終わらないわけですよみんなの意見が。
最後締めるのも自分で。
「これで退場します」と。
冷静に受け止める覚悟は出来てた。詫びるところは詫びてけじめをつけようって。
これからどうしようと思ってたけど、舞台はやってはいけないと決めて。
1年後にはドラマとか映画とか随分やりました。


■結婚
27歳で高橋伴明監督と結婚。
どんな逆境でもこの人とだったら一緒にやっていけるなって気持ち。
結婚してから1週間は泣きました。
泣くのを我慢してたんで、泣いてもいいんだという安心感。
それまでは自分で立ってないと、後ろから支えてくれる人が誰もいないので。

ふられたことがないんですよ。
どれだけ私が傲慢かってことです。
食事も喉に通らなかったとか、自分の人生に欠如してる。
そんなに恋愛に対して一生懸命じゃないのかもしれないですね。
関根恵子は作られたイメージ。
役でやったことがあるんですけど、時代劇で足蹴にされたり
そういうの大ッ嫌いです。
女優で「関根恵子」のイメージを抱えたまま仕事は無理だから
具体的には「脱がない」と決めて。
新婚旅行で海を見ながら「関根恵子は死んだ」と思って。
私思ったことを相手に口にだせない方なんです。
考え過ぎちゃうんですかね。
歳とともに「無邪気」ってことがやっとわかってきた。
子供の頃無邪気じゃなかったので。
子供は無邪気っていうの大間違いですよ。ひとによる。
私は無邪気になるために生きてきた。
50代で人からどう思われるか、やっと気にしなくなった。
●今元気を与える曲
ブルーハーツ「リンダリンダ」

息子が中学の頃聴いていた。
「中身はロックの女」なんです。
女優は続けたいけどレポーターもしたい。
ケルト民族とアイヌ民族のつながり。
そういうのもやってみたいんでございます。

40年ぐらい前、うちの父が
地方ロケで来た関根恵子とすれ違って
間近で声聞いてどえらい興奮して帰ってきた。

追記:団塊スタイルにも出てましたね
伴明さんが「家庭に入れるもんなら入ってみろ」
喧嘩しても同じタクシーに二人で乗ってしまう・・など
結構面白いエピソードを披露