6年ぶりに徹子の部屋登場。
むくんでますね・・ところどころ聞き取れないし。
(めざましを)17年半やりました。
大変な病気でね、60過ぎてから手の施しようがない感じで
言われてまして。
なんとか・・
(抗がん剤の影響でお腹も膨れて)腹たってね。逆ならいいんだけど。
徹子:すごい3年間の闘病生活だったと思いますので
ただ寝て耐えるだけでそんな大変な思いをした感じはないんだけど
臍帯血移植をした時に
3畳か4畳ぐらいのところにトイレ、シャワーがある部屋に隔離されて
そこに入った時に点滴が4~5本つながって
身動きも出来ない。
臍帯血移植の方が骨髄移植より身体へのダメージが少ない。
徹子:大塚さんは健康に気をつけてらっしゃって、お酒も飲まない。タバコも吸わずゴルフだけ。17年間毎日朝の番組をやってらしたことが体を疲れさしたのかな。
なんかストレスがあるということをみんな言いますけどね。
いろんな方々から手紙ハガキをもらいました
亭主や子供がそうだった、本当治るかというとそうでもない
徹子:渡辺謙さんみたいに、2度なったんですか
それを乗り越えて。当時は今のように進歩してないし
私もこんなところでへこたれてはいけないと思うんですよね。
徹子:くよくよせざるを得ない
頭から離れないんですよね。
食欲だけはね、誰に聞いても食べすぎじゃないかってぐらいありました。
ゴルフから帰って(首のリンパ腺のあたり)触ったら
しこりが2つ3つあって「ええ??」って
家帰って風呂入っておかしいなと思って近くのお医者さんで
血液検査、たまたま先生が血液内科でしていただいて。
金曜日にして月曜日に来なさいって言われて
「仕事をするような病気じゃない」って。
自分のことになると思わずびっくりして
しばらくして「大変な病気なんだな」と。
白血病でも薬が効くのと効かないのとあるから。
随分体は痛めつけられてると思うんですけどね。
本番は5時半に始まるから起きるのは3時半。
4時にスタジオ入りしてました。
徹子:毎朝見てらした方はあららと思うかもしれないけど経過報告を。お元気そうなんで。お母さんはその間に亡くなったりして。
ちょうど入院してひと月かひと月半ぐらい。
認知症がひどくなって一緒にいられなくなり、2番目の姉が看てやると。
(お葬式とか)全部お願いしちゃって。息子としてはしんどかったですね。
京都だったんで。そういう運命かと諦めてお願いしたんですが。
昔の人ですから食べ歩きしようとしないので
ふきの煮物とかあんことか、懐かしいですね。
徹子:大塚さん独身なんですって?結婚してらっしゃるとばかり。奥さんも毎朝大変だなとか。
病院も身内の同意を必要とするんですよ。
近くにいないんですよきょうだいとか。
今までB型だったんだけど(治療で)A型の女の子に(笑)
徹子:あたしA型なんですけど、こんなぐちゃぐちゃなA型いないって。
まぁ50何年生きてきて
いまさら性格が変わるとは思いませんが。
アナウンサーとか放送の世界は、ほんとB型が多いんですよ
徹子:司会者はA型が多い。
(父親は)通関業務やってて、自分の仕事がうまくいかず辛い時期も。
怒ることをしない優しい父親。
たまたま亡くなる時、NHKのアナウンス研修を代々木でやってまして。
ほんとにスポーツを目指していながら
途中でクイズ番組やったり朝やったり、結局五輪には無縁。
やりたいですね。東京五輪やってる人間がやるのがね・・
その当時高校生だったので。
徹子:びっくり。大塚さんってまだお若いんですね。あたし28年なんですよ。20年あとなんで驚いちゃった。
街頭テレビは小学校3~4年でしたから。
徹子:東京オリンピックの時に是非元気におなりになってテレビ関係の方に頼んでおきますから、その時に出さしていただけるよう、昔のいろんなことをご存知の方がなさるということはあたしがお願いするというのも変ですが。
健康を取り戻すこと。それが何より。
ゴルフができないですね。歩ける事が第一。
仕事は情報扱う仕事。要求があればという話ですが。
言葉が出てこないんですよね。想定している言葉が出てこないのは本当に困る。