.net.amigoココログ跡地2007~

まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集

アイドル発掘王 相澤秀禎の人生 中森重樹


17歳の時です。あの時のことは昨日のように覚えてます。大きなプロダクションの社長さんに会うので、ドキドキして。「艶やかで色のある、聞き心地のいい声だな」高1の夏休み~デビューまで自宅に下宿。朝6時に起きて社長と奥さまと一緒に、毎日マラソン。夏休みが終わったらそこから学校に行き、また下宿に帰って。
曲に関しては難しい曲だな、と思った。出だしとかも。あの頃テレビ番組、生放送とか多くて。必ず社長さんが来てくださって「よくがんばったね」「今日も頑張ってね」相澤さんのお顔を拝見すると落ち着くんですよ。最後、お話もきちんとできました。お顔もちゃんと拝見して。ちょうど武道館の100回公演の直前だった。
「楽しみにしているから、しっかりステージ頑張って」「ぜひ見ていただきたいので早く元気になってください」「相澤会長はお元気になっていただけないと、私も頑張れないので。」「頑張るよ。聖子も頑張って」
・・まだちょっと信じられない。亡くなった気がしない・・
風は秋色
有望新人のデビューは春。新曲は3カ月ローテで出す。音楽祭は当時10~12月だから、その頃に3枚目をぶつける。「新人は3曲目を必ずヒットさせる」


サンミュージックの芸人(2013年現在)
ダンディ坂野 ・ヒロシ ・小島よしお ・カンニング竹山・スギちゃん ・鳥居みゆき ・髭男爵 ・かもめんたる

酒井法子
亡くなる3日前に手紙を。ノリピー語が懐かしい。のりP音頭 動画参照
相澤さんは、のりPの失踪時、岡田有希子の二の舞になる事を危惧し、捜索願を出すよう指示。逮捕後に契約解除。

謝罪会見の直前に会話

沈痛な横顔が目に焼き付いている。自分がしてしまったことの申し訳なさ。あまり・・全てを鮮明に実は覚えてなくて・・会長もなんて言ったらいいかわからない状況で・・「一つの区切りというかけじめとして。でも、これから頑張れ」
病気のことを伺ったのは亡くなる直前。
「またこういった(ディナーショーの)機会を与えていただいて・・一生懸命やります、と・・すみません(涙)」
桜田淳子で避けて通れないのは統一教会。相澤さんは入信を許さなかった。
今回手紙が披露。

堀威夫ホリプロ社長)
情実をマネージメントツールに1005近く入れこむタイプ。その人が永遠にスターでいてくれるならいいけど登った山は必ず降りるときがあるわけよ、そん時非常に困っちゃう。情のツールの悲哀を彼は感じてたはず

中森重樹
「遠くへ行きたい」(昭和45年10月)、佐渡島の15歳の少年が登場。
佐渡に飛び母親を説得、翌年デビューさせる。2曲目が売れない。手を尽くしても結果がついてこない。

シングル3枚、17歳で引退。覚えている人いますか?50代後半以降じゃないとわからないかも。

youtubeでも動画がほとんどない。現在は千葉で自動車整備士。死の2日前、病室で2人きりになった時「お前に聞きたいことがある。これを聞かないと俺は死ねないんだ。岡田有希子と重、お前ら二人が忘れられないんだ。ユッコはもういない。俺が無理やりお前を連れてきたことで、お前の人生を台無しにしちゃったんじゃないか。本当の気持ちが知りたい。お前の夢を取り上げたんだ。」
「最初は嫌だったかもしれないけど、勉強した。親父とこうして付き合ってきた。親父に会えたことが俺にとって生涯の宝だよ」「ホントか?」親父泣いてましたね。
 

中森重樹 太陽もえてる青い空 1971 - YouTube


2013年は追悼番組が多い。エンタの神様だって最後は桜塚やっくんだった。
全盛期のネタなのに全然笑えなかった。