カナダへ渡った曾祖父・池田福吉が体験した差別。
福吉は明治15年広島生まれ。
17歳の頃、ハワイへの出稼ぎ。ラハイナ。
10時間以上サトウキビを刈る労働。
25歳の時カナダ・バンクーバーへ移住。
当時のパウエルはリトルトーキョーのような状態。
肉屋と雑貨屋を営んでいたが、日系人は差別の憂き目に遭う。
日系人対象の下宿屋を営む。
90年後の現在も建物は現存。
当時は製材所を営む日本人労働者などが体を休める場所だった。
カナダ知的財産庁HPによれば仲間と下水装置の特許をとっていたらしい。
後に生まれた久代は岳大の祖母。
学校では36人中6位の成績。
14歳の頃母トキが肺結核に倒れ、1年後に亡くなる
久代は一人日本へ。昭和8年。
平文雄と久代は昭和8年に結婚。
幹二朗が生まれてまもなく文雄は腸チフスで死去。
福吉の弟の家で幹二朗は暮し、久代は郵便局に勤め始める。
原子爆弾投下。久代の生存はしばらく不明だったが
終戦後しばらくして母と息子は再会を果たす。
靴紐を結ぼうとかがんだとたん爆弾投下。
建物の影で命は助かったが、黒い雨に打たれたため
吐血や抜け毛に苦しみ動けなくなる。
回復したものの頭髪は全て抜け落ち、被爆者差別に苦しむ。
ようやく高校の事務員の仕事を見つける。
高校に生徒数の把握に来た進駐軍の通訳をしたのがきっかけで
代々木に住み込みのメイドとして働くように。
幹二朗は広島県立上下高校の演劇部。
母は働いたお金を息子に充てる。
高校卒業後俳優の道に進む。
久代54歳にしてようやく幹二朗と再び暮すことに。
37歳で佐久間良子と結婚。
双子の兄妹、岳大と朋子誕生。
※STAR 75年7月号より
平成2年、久代死去。
「寒い寒い冬が来た
今に氷も張るだろう
寒い冬
過ぎても冬よまた来いよ
私は冬が大好きよ・・・」←学生時代の詩。
男の人の母を思う気持ちが切々と伝わる表情。
泣くつもりじゃなかった、といいつつ涙する息子幹二朗。
佐久間良子の特集が昔の雑誌にあったので。
(出典は上記と同じSTAR7月号)
練馬一帯の大地主の令嬢。
東映の大泉撮影所の一部も佐久間家の土地だったと記述がある。
「家の一歩手前を出れば、私は女優です」
家族3人でこの映像を見ればよかったのに。
夫婦間にいろいろあったのか佐久間家の歴史に触れないまま。
平岳大は好きな俳優さんの一人だが
デビュー遅かったのね。
BSでやった伊丹十三役がよかったなぁ。
平幹二朗は舞台がメインかな今は。
追記(2013.7.6)土スタに出てたんで見た。
独身だったのね(←短冊に「40までに結婚できますように」)。
15歳で留学。日本人のいない学校を探した。
サラリーマンから俳優を志すも、母の反対に遭い毎日ケンカしていた。
テレビでスペイン語の充実度ときたら。昔の堅苦しさとはえらいちがい。
追記 2019.11.6 徹子の部屋 1歳の娘さんの話。最大のショックは自分になつかないこと。何度心が折れたか。母(佐久間良子)は子育てがあまり得意じゃないというか。任せるのが不安。抱き方も危なっかしい。