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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集

ファミリーヒストリー 柳家花緑 小さん師匠。

昭和11年2月26日

近代日本最大のクーデター。二・二六事件
兵士たちの中にいたのが柳家小さん。歴史的事件の現場、極限状態の中で落語を披露。
父親が離婚していなかったから、ボクにとって師匠は祖父であり父親でもある。
小さんの父伝之助。
本業は農家。繭を取る養蚕農家だったが
伝之助は次男なので家を出なければならず、長野へ。
紡績工場の仕事を紹介してもらい、山梨から来ていた、てふと結婚。
大正4年生まれの末っ子が、盛夫(小さん)。
やがて金貸し業を始めるが、お人よしで取立てが出来ず夜逃げ同然で長野から浅草へ。
並外れた話術の持ち主である盛夫は人気者に。
結核をわずらっていた7歳年上の兄は物語を語って聞かせることが好きだった。
18歳で亡くなってしまったが、話好きは兄の影響である。

小さんの中学時代の同級生は97歳。

小さん師匠が剣道をするシーンはよく覚えている。ま、なんといってもあさげひるげゆうげ。お湯をさすだけの味噌汁がこのひとにかかると非常にうまそう。
 
中学を卒業した小さんは法律事務所で働く。
生まれて初めて行った寄席に衝撃を受け、18歳で落語の世界に。
「落語界一の人格者」と新聞記事になった4代目小さんに弟子入り。
師匠が舞台に上がると、袖で懸命に練習。
だが陸軍に招聘される。銃機関銃を扱う部隊に配属。歩兵第三連隊。入隊して1ヵ月後
初めて実弾を手にし、どこへいくか聞かされないまま出発。

二等兵に行き先を聞いたが俺もわからない、偉い人の警備に行くんだ、とだけ。
部隊が到着したのは警視庁。上官からは東京の治安維持としか聞かされず。当時の同期の方も98歳「世間からは悪者と思われても、自分たちには情報が入らないからわからない」半蔵門交差点で、兵隊が封鎖する姿を目撃した人も。

詳しい状況が兵士たちにわかったのはその日の午後。決起から2日後、食料が届かなくなる。昭和天皇が決起部隊の鎮圧を命じていた。反乱軍とみなし包囲したからである。

畑和(はた やわら)。後の埼玉県知事。歴代最長、20年務める。
「部屋の中は興奮と怒声。何か悲愁を感じずに入られなかった」
 
一人の長官が盛夫に近づき「みんなを笑わせ、落ち込んだ士気をあげろ。落語を一席やれ」披露したのは「子ほめ」
 
小さん:ちっともわらわねぇんだよ。生きるか死ぬかなんだから、そこで一席やったって 笑うわけがない。生涯で唯一うけなかった落語。

29日 決起部隊は投降を決意。

「反乱軍」の汚名は重くのしかかり、2ヵ月後に歩兵第三部隊は満州へ。70キロの行軍を強制される。つらい時こそ仲間を笑わそう、と必死。
 
昭和14年除隊。高座に復帰し、二ツ目に昇進。昭和17年結婚。生まれた娘はのちの花緑の母。
昭和20年、終戦になってもベトナムのツーランで捕虜生活。ここでも仲間を元気付けようと渾身の落語を披露。
 
花緑 強くないと人にやさしく出来ない。こういうときの経験が人を作るんだなって。伝之助さんの話はあんまり知らなかった。
 
花緑さんは昭和46年生まれ。ずっと小さんの孫と言われるプレッシャー。あえて厳しく接した小さん。亡くなる3ヶ月前まで高座にあがっていた。
 
笑いが出てきて 気分がほぐれる。つらい時こそ笑いが希望になる。

落語評論家・川戸貞吉(師匠とは40年来のつきあい)
「人前でやって初めて ここでうけなかったのはなぜだろうと考える。落語はそうやって習得していくもの」
 
昭和22年 真打昇進。最古の映像は昭和43年。平成7年人間国宝

「芸は人なり」人間性。心が汚れていると出てくるものはみな汚い。ずるいやつぁずるい。生意気なやつぁ生意気な噺。
心は清廉潔白でなくちゃいけない
 
「守 破 離」
 
さいしょは師匠の教えを守り、それが出来たら師匠の型を破らなくちゃいけない。ほうぼうへ行って稽古をつけ、人の技量を取り込んでしゃべっていく。

今度は自分の物をこしらえていく これが「離」