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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集

ファミリーヒストリー 徳光和夫 父寿雄はアテレコ考案 小倉南区徳光、親戚は福永祐一

屯田兵 開拓農民で北海道へ渡った。それが我が家のルーツである。当時屯田兵は4万人。

 

えりも町に遠縁「徳光時計店」

曽祖父・治兵衛さんは江差でニシン漁をする漁師だった。「江差の五月は江戸にもない」
明治15年、祖父賢五郎誕生。15歳、幌泉に新天地を求め、漁師になる。明治37年日露戦争出征。203高地の戦いを生き延びる。明治40年、北海道を出て神戸へ。つねと結婚。
和夫の父寿雄誕生するも、離婚し父に引き取られる。博覧会を運営する仕事についていた博覧会ブーム。大正8年、空中文明博覧会の責任者だった。
祖父賢五郎再婚。
寿雄上京し、電力会社に転職(昭和5年、西巣鴨で暮らしはじめる)
 度重なる転居で友人が出来にくかった寿雄は、創作に興味を持つ。詩人の同人会にも参加。映画に夢中になる。その頃は無声映画。ハヤフサヒデトに感動し、映画監督を志す。近所には大都映画の撮影所があった。昭和7年、入社。助監督に。
「仕事が速く、頭が切れ、声が大きく威勢のいい方」
役者が足りない時に借り出されたことも。
そして短編映画の監督に。
 マツダ映画社に1本だけ残されていた監督作品。
「五作ぢいさん」学校や公民館で上映。昭和14年。税金を免除されているが、どうしても収めたいと役人と押し問答。納税を奨励する映画。11分の短編。
主演は横山運平(1881-1967)日本発の劇映画に出演した名優。
 
寿雄は銀座の百貨店の店員と結婚。昭和16年和夫誕生。
 「民謡番組の司会をしたとき、江差追分を聴いて涙したことがあるんですよ
ルーツは江差だったことをはじめて知って、血が逆流するようなゾクゾク感を味わった」
 
江戸時代の「徳光村」=現在の小倉南区徳光
幕末、小倉藩長州藩と戦う。 祖先は北前船で北海道へ行ったことは考えられる。
明治11年も現在も、江差には徳光姓が多い
 能登半島にルーツを持つ人も。にしん景気を目当てにきていた祖先も。
 江差町能登会結成。
・騎手の福永祐一と親戚。 賢五郎の兄の妻とつながる。
 ズームイン朝、一番最初に伝えたニュースが「騎手の福永洋一さん大怪我」
氷川神社狛犬を彫ったのは、和夫の母の父。須藤音吉。
・和夫の曽祖父は明治のベストセラー作家・服部誠一
父・徳光寿雄
娯楽映画から日本ニュース映画社へ。昭和17年、陸軍から依頼された長編映画の監督に抜擢。撮影に向かったのは三池炭鉱。戦争で消失されたとされていたフィルムはNHKに。
アテレコを考案
戦後ニュース映画社から日本テレビへ。日本の映画会社はテレビ局に貸さなかったため
外国から借りることに。映画技術を駆使、昭和31年、アテレコで「ロビン・フッドの冒険」放送。ロビン・フッド役は外山高士。
最初から最後まで収録をきらずに録音する形式のため、NGを出すたびにやり直した。
関係者は「何たる暴挙」「映画芸術の破壊」と酷評。視聴者には「これなら外国映画もよくわかる」と好反応。
他に「名犬リーチンチン」「パパは何でも知っている」
のちに日テレ報道局次長。2013年、102歳。