お孫さんも名前は「リキヤ」
19の頃に最初の結婚をし、そのとき生まれたのが麻美さん。
関西の番組に力也さんが来て
「俺にはむかうことが多いけどドンと言ってきてくれ」
カットの瞬間、よくやった!と中居君に言った。
うーん、芸能界一恐かったとは思わなかったが。
街ですれ違う人がよけて行く、あの再現ドラマのガキは笑えた。
ホタテマンでブレイクしたとき、小さな子を連れた母親が
「体に触れば強くなる」とさわりに来たり、「言うこと聞かないとホタテマンが来るよ!」叱ったり。※それは都市伝説と違うのか。
力斗くんは39歳で再婚したときの相手の子。(結婚14年目に離婚)
優しくて甘くて、小学校の行事にもまめに顔を出す父親。
泣いて帰ったときには「お前は強い。だから泣くな」と。
出川の若い頃の映像はもう一度見たいな。
出川哲朗:はじめての絡みだったのでもうめちゃめちゃ恐かったが、カメラが止まった瞬間に「おお出川大丈夫か」と。その優しさとのギャップがありましたね。
ドッキリの動画って、今はあんまり見ることが出来ない。
ダチョウ倶楽部との絡みも貴重なものだったし。
「これは俺が作った話なんだよ」という逆ドッキリの完全版が見たいな。
肥後:お約束がちゃんとわかる方だった
最初の病はC型肝硬変。
3年後に悪化。肝臓にのう胞がいくつも出来る、多発性のう胞炎に。
06年「熱っぽいし、筋肉痛か。力も入らない」足もふらつく。
年間10万人にひとりというギランバレー症候群。
入院後1週間でこん睡状態。
「親父がこのまま息を引き取りましたとなったとき 俺何もしていない。」
ほぼ寝たきりの生活が約2年。
車椅子で動けるまでに回復し、リハビリを始める。
だが再び病に倒れ「パパな もう肝臓ダメみたいなんだよ。もし移植になったら力斗の肝臓くれるか?」
移植手術前日、筆談で「孫の顔を見ていただくまでは 勝手に死んでもらっては困ります。わが偉大なるビッグ・ダディ」
「力斗は親父にとって最高の息子。愛してるぞ」
42時間にわたる移植手術は成功した。
梅宮「後ちょっとで退院できますから釣りに行きましょう」結局はいけなかったですね
11年10月、肝細胞ガンへの転移が見つかり、余命1年。手の施しようがないほど進行していた。
「思い出を作るのに今が最適な時期です」と医者に言われた。
2月、伊豆へ桜を観に連れ出し、10年ぶりにビール2口。
12年4月8日「力斗、パパ負けた・・・」
「なに言ってんですか 今まで勝って来たじゃないですか。」
「力斗、愛してるぞ」
僕の目にこぼれる涙見て
話せない親父が自分の手でボクの涙をぬぐって笑って見せて「大丈夫ですよ」って話をした。それが最期の会話でした。
眠っている場所は 千葉県君津市 園明院。