.net.amigoココログ跡地2007~

まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集

金スマ 安岡力也 知られざる過去。

9歳のお孫さんも名前は「リキヤ」

19の頃に最初の結婚をし、そのとき生まれたのが麻美さん。

関西の番組に力也さんが来て

「俺にはむかうことが多いけどドンと言ってきてくれ」

カットの瞬間、よくやった!と中居君に言った。

うーん、芸能界一恐かったとは思わなかったが。

街ですれ違う人がよけて行く、あの再現ドラマのガキは笑えた。

ホタテマンでブレイクしたとき、小さな子を連れた母親が

「体に触れば強くなる」とさわりに来たり

「言うこと聞かないとホタテマンが来るよ!」

と叱ったり。

それは都市伝説と違うのか。

力斗くんは39歳で再婚したときの相手の子。(結婚14年目に離婚)

優しくて甘くて、小学校の行事にもまめに顔を出す父親。

泣いて帰ったときには「お前は強い。だから泣くな」と。

出川の若い頃の映像はもう一度みたいな。

出川哲朗: はじめての絡みだったのでもうめちゃめちゃ恐かったが

カメラが止まった瞬間に「おお出川大丈夫か」と。

その優しさとのギャップがありましたね。

ドッキリの動画って、今はあんまり見ることが出来ない。

ダチョウ倶楽部との絡みも貴重なものだったし。

「これは俺が作った話なんだよ」という逆ドッキリの完全版が見たいな。

お約束がちゃんとわかる方だった、と肥後克広

最初の病はC型肝硬変。

3年後に悪化。肝臓にのう胞がいくつも出来る、多発性のう胞炎に。

2006年「熱っぽいし、筋肉痛か。力も入らない」足もふらつく。

年間10万人にひとりというギランバレー症候群。

入院後1週間でこん睡状態。

「親父がこのまま息を引き取りましたとなったとき 俺何もしていない。」

ほぼ寝たきりの生活が約2年。

車椅子で動けるまでに回復し、リハビリを始める。

復帰の記事 参照徹子の部屋

だが再び病に倒れ

「パパな もう肝臓ダメみたいなんだよ

もし移植になったら力斗の肝臓くれるか?」

移植手術前日、筆談で

「孫の顔を見ていただくまでは 勝手に死んでもらっては困ります。

わが偉大なるビッグ・ダディ」

「力斗は親父にとって最高の息子

愛してるぞ」

42時間にわたる移植手術は成功した。

「後ちょっとで退院できますから釣りに行きましょう」と

結局はいけなかったですね・・・梅宮辰夫

2011年10月、肝細胞ガンへの転移が見つかり、余命1年。

手の施しようがないほど進行していた。

「思い出を作るのに今が最適な時期です」と医者に言われた。

今年の2月、伊豆へ桜を観に連れ出し、10年ぶりにビール2口。

2012年4月8日

「力斗、パパ負けた・・・」

「なに言ってんですか 今まで勝って来たじゃないですか。」

「力斗、愛してるぞ」

僕の目にこぼれる涙見て 

話せない親父が自分の手でボクの涙をぬぐって

笑って見せて「大丈夫ですよ」って話をした。

それが最期の会話でした。

眠っている場所は 千葉県君津市 園明院。(←聞きまちがいかも)