.net.amigoココログ跡地2007~

まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集

ミュージック・ポートレイト 加藤登紀子×菊間千乃

それ行けキクマの事故で記憶が止まってるが、もう40歳。

・フジテレビ退社後

高校バレーは好きでよく見てたけど

お父さんが八王子実践の監督とは知らなんだ。

寮生活をしているから週に1回しか家に帰らなかった。

3~4歳から応援歌を覚えて歌っていた。

【キクマさんの選曲】

八王子実践バレー部応援歌

お父さんが好きだったのね」

「そういうと父が図に乗る」

ウィー・アー・ザ・チャンピオン 伝説のチャンピオン クィーン

ジュリアン プリンセスプリンセス

早稲田の受験に失敗し毎日図書館に通っていた浪人生の頃

「席を立たない女」と呼ばれていた。

恋をして、彼の家は分かってたので

自転車に乗って歌いながら遠回りしていた。

LA LA LA LOVE SONG 久保田利伸with ナオミ・キャンベル

華やかなテレビ局。まさにその代表。

ロンバケの主題歌だけど、フジはお祭りのようで楽しかった。

・壮絶な入院生活

第一腰椎圧迫骨折 第六胸椎圧迫骨折 左右第七肋骨骨折。

ディレクターだって私を落とそうとして企画したわけじゃないし。

誰も悪くない。誰にも怒りを言えないので逆に申し訳ない

面会謝絶にしたこともあった。

上半身ギブスなんで、トイレも自分ではできない

外れたりして 泣いちゃうんですね。

その時に母が「娘にこんな思いをさせるぐらいなら自分が代わってあげたい」と

未来へ kiroro

入院中に母が買ってきた。

一生親孝行しなくちゃ、と思った。

一日一日生きていて、自分が気持ちよく仕事していかないとだめだなって

改めて思った。

くるみ Mr/children

オリンピックの仕事をさせていただいたとき

選手たちを見ながら

4年間自分は何をやってたのだろうかと

仕事の楽しさに流されて適当にやってるだけじゃないかと。

そのときアテネだったので、つぎの北京まで死ぬ気でやってみようと思った。

My Way Def Tech

未成年のタレントとの飲酒騒動があったときに(2005年)

オセロが全部黒くなるって言うか

会社中全体からすごい言われたし ホントにひとが怖くなっちゃった。

僕が僕であるために 尾崎豊

司法試験に向かって奮い立たせてくれた歌。

退社3年目、2回目の司法試験で合格。

やさしさで溢れるように JUJU

自分の周りの人から笑顔に変えていけるよう 弁護士になったときに

決意させた曲。

ウィー・アー・ザ・ワールド USA for Africa

目の前の人を幸せにする輪が出来て、平和につながる

それに協力できたなぁと思いながら死ねたらいい

お登紀さんについてはこちらの記事もどうぞ SONGS 参照

【お登紀さんの選曲】

フランチェスカの鐘 二葉あきこ

4歳で初めて歌った曲。

「ちゃよならばいばい♪」もの悲しい歌が好きだったのかも。

暗い日曜日 ダミア

中学で低い声の歌を聴いたとき ものすごくうれしかった。

私の顔は童顔なんですよね。ぽちゃっとした。

それがこれを聴いていたというのはどういうことなんだろうかと。

意味なんかわからなかった。中学時代に感じていたことが

私の音楽の原点。

上を向いて歩こう 坂本九

文化祭。クラス演劇があって、私は主人公だったんですよ

受験勉強したいからみんなぼろぼろ抜け落ちて行くんです

みんな一緒にやろうよ、って言いながら、半分泣きたい気持ちで。

そんな時にこの歌が。そのお芝居の相手役に恋をしたんだけど

その人も大学に落ちて(笑)

思いは伝えて、1回だけ一緒に散歩をした。

さよならも言われたくない。自分から言いたい。そうやって生きてきた。

悲しき天使 メリー・ホプキン

恋人(藤本敏夫さん。故人)逮捕前夜、ふたりで何度も聴いた曲。

あたしたちは命がけでやってるけど希望が持てる感じではなかった。

体をぶつけて必死になってる感じだけど、未来が見えない。

彼は「自分たちは何に向かって生きていくのか」悩んでいた。

Those were the days.

日本語版はCMに使われていたっけ。

ひとり寝の子守唄 加藤登紀子

短い時間、新宿の酒場でちらっと歌って彼に聞かせたら

「寂しすぎるよ その歌。そんな寂しい歌、だめだよ」って出て行った。

その心情は今でも確かめてないんですけど

NGという意味とは違うと。

3年間の実刑判決、投獄が決まった時は妊娠していた。

イマジン ジョンレノン

オノ・ヨーコさんとであったときに、開口一番彼女が

「あなた刑務所の人と結婚した人でしょ

彼は壁を壊そうとがんばったのね。でも壊すことはとても難しい

でもそんなことしなくていいのよ”窓を開ければいい”」

思いがけないことで女としてのヨーコさんに会えた。大きな想い出になった。

百万本のバラ 加藤登紀子

農業を取るか、歌手を続けるかで離婚の話が出ていた頃

自分(藤本さん)の部下の結婚式の仲人の話が出て

「じゃぁ離婚の話はどうなの~」ってこころの中で思った。

式のときに彼が「僕は彼女に花嫁衣裳を着せていない。

この花嫁さんのシーンはとりわけすばらしいと思います」と挨拶したのね。

そんな話したことなかったのにあたしびっくりしちゃって

「コレは離婚を中止することなのかな」と。涙が出ましたね。

1987年5月6日挙式

いつも何度でも 木村弓

夫が病床で聴き、ノートに書きとめた歌詞

「サヨナラのときの静かな胸  ゼロになるからだが耳を澄ませる

生きている不思議 死んで行く不思議

花も風も街もみんなおなじ」

結婚していて夫婦だったんだと亡くなった後におもいました

もっと彼が生きていたときに ちゃんと夫婦でなきゃいけなかったのに。

なくなった後に遺された荷物は多い。

一生懸命夫婦でした。

今どこにいますか 加藤登紀子

あるひとが「抱くべき子供を津波で亡くしたひとが この歌を聴いた時に

悲しくないですかね?」と言われたことがあった。

ホントにそれだけは経験した人でないとわからないなぁ。

人って誰かを抱くときに強くなれるんだと思うんですよね。

だから歌はやっぱりメッセージだと思う。伝えたいから歌う。

人生の最後に聞きたい歌

オラトリオ「森の歌」作品81ショスタコーヴィチ

旧ソ連の緑化事業をテーマにした歌。

母は洋裁をしながらこの曲をかけてた。

人生最後なんて想像したことないけど、

いろいろなことがいっぱいあるでしょうけれど

そんなときに子供たちがみずみずしく、樹を植えに行くっていうのが

命がつながっていくんだ。

幸せな気持ちでうっとり死ねるとしたらってこの曲を選んだ。

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いつも思うことだが

「人生に大切な10曲」を選べない。

流れるようにだらだら生きてきたから、100曲ぐらいの中からの10曲は

難しい。

「LALALA LOVE SONG」はワタシも避けて通れない曲だったりする。

壮絶な60年代を生きてきた人には申し訳ないが

好きな時代にタイムスリップできるとしたら、60年代後半に行ってみたい。

自分の生まれた年(68年)がどんなだったか体感したい。

番組全体がセラピーのような

お登紀さんがキクマを癒してあげてる感じですね。