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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

【2012年放送】徹子の部屋に西城秀樹 浅田真央の話

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秀樹:みんなが大好きな歌 ヤングマン。そのうちオールドマンに変わるんじゃないかな

徹子:10代のときからあなたを知ってるから
脳梗塞って聞くとさ、え~そんな年になったのって。

秀樹:ぼくもです。脳梗塞ってなんだろう、東名の高速かなって。
ほんとにね、病名わかんなかったです。知らなかった。
気をつけてたのに(2度目は)えええって。ショックしかなかったですね。
なりやすいって話を聞いてたんで気をつけてたんですけど
毛細血管が細くなってくるんですよね。

徹子:徹子の部屋はね、8年ぶり、6回目のご出演なんです。
16歳のとき、日本歌謡大賞の司会をわたしがやって。(参照
「傷だらけのローラ」、ケガをなさってたそうで

※ケガ?寺内貫太郎のこと?デビュー10年目にも徹子の部屋に出演。

50歳になったらタキシードの似合う男性になりたい。
ちょっと袖をまくるとロックになると。ラフに着こなせる男になりたい。

秀樹:46で結婚しました。約18ぐらい(年齢差が)じゃないかな。
倒れそうに驚いたと思うけど「病気になったのはしょうがないからゆっくり治そうよ」言ってくれたから安心した。ほっとしたんですね。

徹子:はじめの脳梗塞は2003年。2人目を妊娠してるとき。
結婚してから子供3人生んで。すごいわよね。年子に、うまくね。奥様冷静でらして。

リハビリの合間にジムで自主トレ。

秀樹:早く安心させたい。最初の1ヶ月だけは暗くなりましたね。
びっくりしたのと、何で俺が、という。どうしたらいいんだろうなと思ったら、
家族愛に救われた。

はじまりはかぜかなぁと思って、病院から薬もらって帰るときに
千鳥足になって。おかしいなと思ったけどまだ歩けたんで。
階段を崩れ落ち。でもディナーショーのリハーサルがあるから行かなきゃと思って。
2回通し稽古をやるつもりだったんだけど「ごめん、なんかおかしいや」。

やめて病院にいったら「秀樹さんなんでもないけど一応検査しましょう」
脳ドックでも「だいじょうぶですねえ。耳の神経かな」
しばらくすると教授が来て「秀樹さんおかしいですね。泊まってって下さい」と。
ベッドに崩れ落ちるように倒れて「普通じゃないな」

次の朝検査したら「脳梗塞」ディナーショーはキャンセル。忘れもしない12月24日。

何もすることがないのでテレビ見てたら、浅田真央ちゃんがスケートやってて、
僕もがんばらなきゃいけないなと。

病院で学んだことはすごく多かった。僕だけじゃないんだ。
病気になって普通であること、おいしいと言えることはすばらしいんだって。

電話もいっぱいかかってきたけど、話せないんで出たくなかった。
みんなの前で元気な声でしゃべりたいからごめんな、って。

アナウンサーの教本でリハビリをし、歩行とバランスボール。
元気になったらプールで歩く練習。

結局自分は臆病で弱い人間。だから一歩踏み出すんだ。
怖いから努力して早く治そうと思った。悲しいかな病気をしないとわかんなかった、俺は。

70、80、90歳の方でもたくさん努力をしていることも
忘れないで欲しいですね。病は気から。秀樹になろう。

このまま迷惑をかけるんだったら死のうと。
後遺症のひとつにそううつがあるんですね。だから。

僕が何か教えるよりも子供が気づくんですよね。長女が暗いところで
手を差しのべるとか。長男が薬を渡してくれるとか次男が背中を流してくれるとか。
こんな喜びはなかったですね。がんばって踏み出しましょうよ。

6月ぐらいに新じゃがができるんですよ。野菜に癒される。
まわりのひともきっとよくなるからね、と言ってくれた。

 

見ている途中で自分の父親とか長嶋さんとかが思い出され、
なんかこうじーんとくるものがあり。ろれつは長嶋さんよりいいんじゃないか。

うちの母がたいへんな秀樹ファンで、ワタシのベビーダンスの
ウサギちゃんの顔面に明星の秀樹ポスターをべたべた貼っていた70年代。

追記
ザ・ベストテンの出演者の中でダントツに歌が上手かった、と徹子さん。

 

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