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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

【記録】五木寛之 サワコの朝・nhk スタジオパーク 2012年放送 

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サワコの朝

五木 髪の毛洗わない記録更新。季節の変わり目には洗うんですがね。
阿川 あたし「選ぶ力」があったら結婚しますよ、といったら本当にそんな本をお書きになって。「聞く力」は書店に山積み。その横に添え物のように置いてある。

 

記憶の中できらめく曲

 46歳の時作詞。作曲は武満徹。詞が先。

 

千所千泊。日本列島の中で知らないところへ行ってみよう、と。泊まらない時はおしっこして。マーキング。千所一滴。

 

昔はぶっつけ対談。石岡瑛子さんとか、阿佐田哲也さんとか。対談は表現の王道なんですよ。あなたも広島の血がありますから。「聞く力」を読んで、少しでも相手の話を聞こうと。話が始まっちゃうとジャズの演奏みたいで止めようがない。

 

阿川 一応にわか勉強していこうと思って。スポーツ選手だと「コイツ何にもしらねえな」ってわかっちゃう

 
「流されゆく日々」は連載38年。翌日に掲載されるためには夜12時半までに書く。

なりわいってのは大事なことですね。それで生きていくわけですから。
情報がねえ、正反対の情報がどんどん出てくる。適度のアルコールがいいのか悪いのか、自分で決めるしかない。基準は自分。皆様とは生活のリズムが違うんです。朝日を拝んで床に就くので、悪くない。選ぶ力とは何でも試すこと。直観力。

偏頭痛の持病があるんですけど、気圧の関係。唾液が粘ついてくる感じのときとか、予知的なことがわかるとアルコールを取らないようにするとか、60過ぎてできるようになった。医者は嫌いじゃないけど、任せると自分で自分のケアしなくなるでしょ。病気は治らない。治めるしかない。治して見せます、という人は信用しない。

痛みを和らげるのはわかる。超高齢化時代に入っていくんですね。生き延びてきた人間は悪人である。


中国の言葉に「善きものは逝く」 

今心に響く曲
アタルアルバ・コバンキ「インディオの道」
アルゼンチン。92年死去。今も昔もよく聴く。

阿川 五木先生ってあるがままで十分ラッキーなひと

五木 あしたなんて...ほんと...お見舞いに来てもらうかもわからないし。

スタジオパークからこんにちは

いわゆる職業として小説を書き出したのが30代途中ですね。でもやっぱり字を書くのは好きで、物語とか 勝手な綴り方とか。中学生のころ、九州の、八女というところなんですけれども、そこで和歌山の文学青年と同人誌やってた。ユーモア小説を書いたり。連載小説の掲載やってました。

 

100曲以上作詞。

星をさがそう/北原謙二
青年は荒野をめざす/ザ・フォーク・クルセイダーズ
愛の水中花/松坂慶子←速記者が主人公のドラマ主題歌

四季・奈津子/チェリッシュ
あなたに逢いたい/八代亜紀
ふりむけば日本海/五木ひろし 

燃える秋/ハイファイセット←いちばん好き。映画も見た。真野響子北大路欣也

 

表現すること

(エッセイも作詞も小説も)字で表現することは同じ。ただ自分がこれを書こうと思って箪笥の引出しにしまっているのと違いますので。まぁいろんな方たちから御依頼があったりチャンスがあったりして出てくるものなのでね。風の吹きまわしでこうなってきたな、と。

「TARIKI」表紙撮影は先日亡くなられた石岡瑛子さん。

「凍河」(76年)は石原裕次郎最後の映画出演。

 

青春の門」ハングル語版出版。

82年に放送された大原麗子伊藤蘭「横浜物語」見たい。夜12時から朝5時まで原稿を書き、風呂に入って寝て午後2時に目を覚ます。生活を50年続けている。道理で目が潰れたような顔つき。

こんな早い時間に起きてたこたぁないそうな。

早寝早起きとは全く違うヤクザな暮らしなんですけど。ずぼらなんですよ。(石坂洋二郎さんのように)ストックして前準備しない。夜12時までに原稿送って、お昼にはキオスクに並ぶ。それを37年事故なく続けてきたのは幸せなこと。3~4日前の原稿を渡したら新聞にならない。新しい気持ちで書かないと。できるだけぎりぎりで書く性格なんで。穴をあけると大変ですからね。新聞小説が待ちどおしかったことを思い起こしながら書いてます。体調管理だけでも、気を使いました。つぶてうちのリーダーは今で言うヤンキーのボス。挿絵は山口晃。過去の新聞小説は優れた挿絵と小説が愛された。僕は今でも永井荷風を買い求める。

石原慎太郎氏と生年月日が同じ。(昭和7年9月30日)

歩き方がゆっくりになったな、とか、かんしゃくを起しているな、とか鏡のように思いながら。お元気でいてほしい。

皮ジャン似合う。「五木寛之の夜」を聴いていた。