降旗康男監督は、訃報を受けた時に「居酒屋兆治」が頭をよぎった。
出番自体はちょっとしかなかったような
それだけ印象が強かったんだろうと。
薄幸な最後がそのまま大原麗子になっちゃったような気がして
大変なことをしてしまったような
映画を作る上では仕方なかったんだろうと思いながら
孤独をいきるさよを愛して演じていると言った。
映画を撮り終わった後も
小夜がなかなか抜けなかった。
父親は粗暴な人でした。
金の指輪をした拳で頭をたたかれました。
8歳の時に母親が家を出て行く時
置いていかないで お願いだから連れてってといいました。
置いていかれたら
私は殺されちゃうと思いました。
そして母娘2人だけの生活。
やがて祖母の介護のために母親の実家へ戻ったが
母の姉は厳しい人で、全く反りが合わなかった。中学生の頃には叔母と衝突を繰り返し
居場所を失って、ふらふらと六本木に繰り出すようになった。
六本木野獣会の結成。とはいえひ弱な集団で(良家の子女が多かった)
田辺靖雄:ビッチーと呼ばれかわいがられた。いわゆる普通の女の子ではなかった。金平糖のとんがった部分のように。そこが人々の心を打つ。病気であったり涙であったり
6歳年上の女優渋沢詩子に懐き、彼女の部屋に住みついた。
渋沢詩子:本音と建前が苦手で「なんで?そんな建前だけなんて人間として生きていけない」と言っていた。もっと楽に生きればいいのに、とおもっていた。
母親から来た手紙には「学費を受け取りに来るように。交通事故に遭わぬようくれぐれも気を付けて わが身の周囲に細心の注意を払って、落ち着いて」
石坂浩二:市川昆 監督とは、役作りをめぐって2回ほどいいあいをしたのを見たことがある。
木下恵介監督の「新喜びも悲しみも幾年月」
加藤剛:現実世界での大原麗子は妻や母親から最も遠い世界に居た。あなたの思った通り 感じた通りにやってください。私の仕事は配役した時点で終わっています、と
わたしにも大原さんにもおっしゃいました。
平田満:かわいいこと 美しいことにこだわり続けるのにそれ以降主演のしごとは減った。自信もなくしていった。謎とまではいかないけど奥はまだまだ深かった
どの大原麗子が好きかと言われたら、CMだったりバラエティだったり。
最近もチャンネルNECOでやってた「雑居時代」もう一度見たかった。
晩年は孤独に耐えきれず 時間を問わずあちこちに電話をかけていたらしい。
石井ふく子にも夜中の2時3時まで。
最後が暑いさなかに孤独死なんてなぁ。そんなに幸せが似合わないのかねぇ。