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まとめ・文字起こし+ココログ過去記事集。

「若い広場~オフコースの世界」回想。山際淳司 田川律インタビュー 小田和正

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リアルタイムでの初放送は82年1月3日

今回ETV50で放送されたのは、82年3月21日のもの※2022.7.2、BSプレミアム、4Kで82.6.30武道館ライブの後に放送

山際淳司(故人)がインタビュアー

のちに「Give Up」が世に出ている。なぜそんな本を書いたのか、もう知る由もない。生きていたら聞けたであろう。当時14歳だったこともあり、ファンの感情を逆なでするような余計なものを書いて。そんな気持しか持てなかった。10代は読まず嫌いだった。

小田さんと山際氏のやりとりってのは今見るとちぐはぐで、まるでテレフォンショッキング。音楽って感覚だから言葉で説明しようがない。やっぱし佐野元春じゃないとなインタビュアーは。2番手の田川律氏の方が聞き手としてはうまいかも。音楽評論家だからか。

山際淳司音を重ねて「これでいい」って時と「まだまだ」の見極めというのかしら、それは、どこで見極めるんですか?

 

小田:口ではうまく言えないんですけど、ぼくらの場合特にオーバープロデュースみたいなのを嫌うんですよね。だから少しスカスカでも、それを聴く人が音を足して聞けば。リズムでも、倍刻むところを半分にしちゃったり。自分らも、これでいいんだと思うまで、すごく時間かかる。ほんとはもっとこうしたいけど、ここでやめとこう。そういうことは特に、音的では多いですよ。ただその、音になってない部分では最後まで悩んでますけどね。

田川律2人は割とアコースティックな形でしょ?それが3人加わって、全然違和感はないわけ?違和感は当然ないだろうけど

 

小田:いろんなところに違和感はたぶんあったと思うけど、大きな音楽の流れで。ぼくらが音楽始めたときに、フォークソングみたいな、いわゆるギターだけで歌える曲をやってたし、大きな編成でないとできない曲も2人で無理してやってた。そういう意味ではいろんな人が入ってきて、知らない、おれらがやりたかった音楽をどんどん築き上げていった過程だから。触れ合う中で違和感、たとえばヤスとコーラスをステージでやってなかったのに、モニターから、仁やマツの声が聞こえてきたときに、すごい違和感ね。いままでヤスの声としか歌ったことはないのに、変な声が聞こえてきたりね(笑)

 

清水:たとえば、拓郎を聴いてるとフォークって感じすんねんけど、オフコースの場合、そういう感じ全くしなくて、音楽とか、歌とかね。そういう感じ。

 

鈴木:違和感というと、ステージ。拓郎は生ギター1本でステージに出て、バックつけたからロックになったと。拓郎の意識は変わってない。僕なんか例えば、エレキギター入れようっていうとね、音楽としてエレキギター入れないといけない音楽やろうとするしね。一つに凝り固まりたくないというのがあったんだね、前から。

 

さいごに

メンバーが野球に興じている様はほっとするね。メンバーが若い若い。清水仁が見栄晴に似ていると、一部ファンの間で(?)笑われていた頃だから。清水さんと言えばソロアルバムの「ONE」がおすすめだったりする。なんというか、お人柄がにじみ出ているのだ。

なぜ「若い広場」にオフコースが出たのだろう。「YES-YES- YES」がベストテン入りした時、小田さんのみがインタビュー出演したというのもまるで記憶にない。後から知った。オフコース時代のTBS出演「日立テレビシティ NEXT」しか覚えていない。中村敦夫ね。

「哀しいくらい」微妙に歌詞が違うものが流れた。歌詞作りで難航したようだけど。「突然、小田の声が出なくなった」って字幕はようく覚えている。

言うまでもなく、大間ジローは稀代の名ドラマー。もういちど生演奏が見たい。オフコース時代2度ライブに行った。

 

 

 

 

 

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